【予習】アン・ブーリンってどんな人?(ミュージカルSIX②)
SIXに登場する6人の王妃の紹介、2人目はアン・ブーリンです。
今回もSIXの自己紹介ソング『EX-WIVES』から、歌詞を引用してみましょう。
キャサリン・オブ・アラゴンのnoteで紹介しましたが、彼女がきっかけでヘンリー8世は独自の宗教を立ち上げるまでになります。彼女はどのような人生を歩んだのでしょうか?
生い立ち
アン・ブーリンは1501年頃にノーフォークの貴族の家系に生まれ、幼少期にはフランスで教育を受けました。フランス宮廷での生活を通じて、彼女は洗練された教養や礼儀作法を身につけ、特にファッションや会話術に秀でていました。1522年にイングランドに戻り、キャサリン・オブ・アラゴンの侍女として宮廷に仕官しました。この時期にヘンリー8世と出会い、恋愛関係が始まります。
カトリック教会からの独立、2番目の妃へ
アンは、自分が単なる愛人ではなく、王妃として扱われることを望んでいました。彼女は、生まれてくる子の王位継承権を重視し、ヘンリー8世に王妃として認められるまでは肉体関係を拒否しました。
ヘンリー8世はアンとの結婚を望み、当時の妻キャサリンとの結婚が無効であると主張しました。ローマ教皇から離婚を認められなかったため、彼はイングランド国教会を設立し、カトリック教会からの独立を果たしました。1533年6月1日、アンは正式に王妃として戴冠しましたが、この結婚は国教改革を引き起こし、イングランドの宗教的風景を一変させました。
男児に恵まれない
しかし、アンは男子を産むことができず、彼女が出産した子供はエリザベス1世という女児でした。ヘンリー8世は男子の誕生を切望しており、次第にアンへの愛情が薄れていきました。さらに、アンは政治にも積極的に関与し、その強い意見が王から疎まれる要因となりました。1536年1月には前妻キャサリンが亡くなり、その後すぐにアンも流産し、この一連の出来事が彼女の運命を大きく変えることになります。
投獄と斬首
同年5月1日、アンは不貞や反逆罪で逮捕され、ロンドン塔に投獄されました。彼女は無実を主張しましたが、多くの証言と共謀者たちによって有罪判決を受けました。5月19日には斬首刑にされ、その死は当時の人々に衝撃を与えました。ヘンリー8世はその後すぐにジェーン・シーモアと結婚し、再び男子を得ることになります。
グリーンスリーブスについて
ところで、歌詞にある「グリーンのスリーブ」とは何のことでしょうか。
これは、イングランドの民謡、「グリーンスリーブス」のことを指しています。ヘンリー8世のnoteで紹介しましたが、ヘンリー8世は音楽の才能もありました。
「グリーンスリーブス」は、16世紀半ばに生まれたとされる伝統的なイングランドの民謡です。この曲は、特にエリザベス朝時代に広く知られるようになりました。曲の作者は不明ですが、一般的にはヘンリー8世がアン・ブーリンのために作曲したという伝説があります。
「グリーンスリーブス」の歌詞には、愛する人に振られた男性の悲しみが表現されており、「cast me off discourteously(私を非情にも捨てた)」というフレーズがアン・ブーリンとの関係を示唆していると解釈されることがあります。しかし、実際にはこの曲がヘンリー8世の時代よりも古くから存在していた可能性が高いと考えられています。