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【予習】アナ・オブ・クレーヴスってどんな人?(ミュージカルSIX④)
SIXに登場する6人の王妃の紹介、4人目はアナ・オブ・クレーヴスです。
今回もSIXの自己紹介ソング『EX-WIVES』から、歌詞を引用してみましょう。
あたしクレーヴスのアナ
肖像画見た彼は
でも私見てがっかりしてた
それよりどうよ ヘンリーのちっちゃい…
アナ・オブ・クレーヴズは、1515年9月22日にクレーヴェ公国で生まれ、1557年7月16日に亡くなったイングランド王ヘンリー8世の4番目の妻です。彼女の生涯は、政治的な背景と個人的な経験が交錯する興味深いものでした。
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生い立ち
アナは、クレーヴェ公ヨハン3世の娘として生まれ、教養豊かな家庭で育ちました。しかし、当時のドイツでは女性に対する教育は限られており、アナ自身も音楽やダンスの教育を受けていませんでした。彼女は主に刺繍などの手芸に秀でていました。
求婚そして離婚
1539年、ヘンリー8世は新たな妻を求めており、アナはその候補として選ばれました。彼女の肖像画がヘンリーに送られた際、彼はその美しさに魅了されましたが、実際に会った際には失望したとされています。結婚式は1540年1月6日に行われましたが、ヘンリーはアナとの結婚生活に満足せず、同年6月には離婚を決意しました。
性格
アナの性格については、非常に穏やかで従順だったと伝えられています。離婚を告げられた際には驚いたものの、その後は冷静に受け入れ、王から与えられた年金や土地で安定した生活を送りました。彼女は「王の妹」として扱われ、イングランドを離れることなく、王族としての地位を保ち続けました。
離婚後の人生
アナはヘンリー8世の6人の妻の中で最も長生きし、その死後もイングランド王室との関係を維持しました。彼女はメアリー1世やエリザベス1世の戴冠式にも出席し、その後も王室との良好な関係を保ち続けました
没後の影響
近年の研究では、アナの知性や政治的手腕が再評価されています。彼女は教育を受けた女性であり、特に宗教改革の影響を受けた時代において、プロテスタント信仰を持っていたことが評価されています。また、離婚後も王室との良好な関係を維持し、ヘンリー8世の子供たちとも親しい関係を築いたことが注目されています。
アナ・オブ・クレーヴズの生涯は、政治的な駆け引きや個人的な試練を経験しながらも、最終的には安定した生活を手に入れた女性の物語として、当時のヨーロッパにおける女性の地位や役割について考えさせる重要な要素となっています。