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ショートショート小説『優佳』さしすマガジン令和7年2月号②【月イチ企画】

『優佳』

 地下鉄が地上へ出て、窓から強い朝陽が差し込んだ。

「――っ」

 はっと我に返る。
 満員電車の中で、不意に君の顔が浮かび、僕は思わず笑ってしまった。    
 久しぶりに再会した彼女は困ったような自嘲するような笑みをくしゃりと浮かべていた。

「――アタシさ。大人になるにつれて、子供の頃の純粋な心を失っていくのが怖いんだよね」

 彼女――西野にしの優佳ゆうかは幼稚園からの幼馴染だった。小、中、高と同じクラスになったことも多かったし、僕の苗字が「中川なかがわ」ということもあって、席も近くになることが多かった。それ以上の関係になることはなかったが、それなりに仲は良かったと思う。

 けれど高校を卒業して上京するとぱったりと連絡が途絶えてしまった。

 高校卒業から八年が経った今でも連絡を取っている同級生たちの話によると優佳も東京の大学に通っていたらしい。いや、専門学校だったかもしれない。とにかく、彼女も同じく上京していたらしいが、分かったのはそれくらいだった。どこの学校に通っていたのか、その学校を卒業したのか中退したのか休学しているのか、今は何をしているのか。

 偶に彼女のことを思い出しては、しかし彼女について確かめる術は何もなく日々に忙殺される。そんなこんなで数年が経過したある休日のお昼過ぎ、自宅マンション最寄りのコンビニで優佳と再会をしたのだった。
 聞きたいことはたくさんあったが、彼女がお昼をまだ食べていないと言うのでファミレスに場所を移した。注文を済ませた後、優佳は何の前振りもなく切り出したのだった。

「純粋な心?」
「横断歩道の白い部分だけを渡るとか」
「あぁ、そういう。道路の日陰だけ歩いて日向に出たら死ぬ、みたいな」
「そうそうそう。あとさ、二時間目と三時間目の間に中休みだったかな。十五分くらいの少し長い休み時間があったでしょ」
「うん」
「その短い時間を目一杯に遊ぶためにチャイムが鳴ると同時にグランドにダッシュしてたよね。今じゃ考えられない」

 もう一度、悲しそうな笑みを浮かべて優佳はカフェラテを飲んだ。
 両手の手のひらでぎゅっと大事そうに包み込んで飲む仕草はあの頃と何も変わっていなかった。

「あの頃はさ、何て言うか一生懸命だったよね。目の前のことだけを見てたし、目の前のことしか見えていなかった」
「……そうかも」
「うん。何も考えていなかったし、何も考えなくて良かった。まるで自分を中心に世界が回っているみたいだった気がする」

 優佳は注文したオムライスを完食した後、じゃあね、と何一つ惜しむことなく颯爽と喧騒の中に消えていった。

 数年越しの幼馴染との再会。それはある種の映画のようなドラマチック性をもったものだった。だけど、僕は何一つとして変わっていなかった。
 ぎゅうぎゅうと狭い車内に押し込められた世界。向かう場所はいつも決まっている。
 見よう考えようによってはドナドナされているようだった。

 あの頃の僕なら、何を考えてこの地下鉄に乗っていただろうか。
 地下を通っている間は当然景色なんて見えない。だからこそ、今みたいに地上を通過しているときは窓ガラスに張り付くようにして景色に食いついていたかもしれない。先頭車両で前方の景色を見たり、車掌さんの仕事を眺めたりしていたかもしれない。
 今は到底そんなことはできないし、思いつきすらもしなかった。

 優佳の言っていた子供の頃の純粋な気持ちは、僕の中ではとうの昔に、気づかないうちに失われていたようだった。
 あの頃は何が好きだっただろう。
 ふと思い返す。そして、好きだった漫画のゲームの続きや最新作にもいつしか興味を失っていたことに気づいた。スマホでさっと調べると今でも新作が出ているほど人気が続いているらしい。

 いつから、いつからなのだろう。これほどまでに心が鈍麻してしまったのは。

 会社の最寄り駅で降りて、大勢の人の波に乗って大通り沿いに出る。
 丁度、信号機が切り替わった交差点では信号待ちをしていた小学生たちが横断していた。そこにかつての自分や優佳の姿を見る。白い線を飛び跳ねている。
 街角で偶然出会った君の姿は、まるで幻のようだった。そして、またもや遠くに行ってしまった。いつもの僕だったら見て見ぬふりをしたかもしれない。けれど、優佳と再会して少し変わった、変わってしまった。

「…………」

 さすがに白線のみをぴょんと跳ねて横断するような真似はできない。ちょっぴり大股になって白線を意識して歩くのが関の山だ。それでもなんだか恥ずかしい気分になるが、それと同時に少しだけ気分が弾むような気もした。  
 帰りにゲームショップを覗いてみようか。
 そんなことを思いながら横断歩道を渡りきって振り返る。もう、僕の姿も優佳の姿も見えない。だけど、寂しくはなかった。怖くもなかった。
 再び、歩き出す。

 ……いつかまた、僕は優佳と会えるだろうか。

 

おしまい

さしす文庫 note月イチ企画
令和7年2月号:AIお題ショートショート
『優佳』
作:はるはる
お題
・「大人になるにつれて、子供の頃の純粋な心を失っていくのが怖い」
・「満員電車の中で、不意に君の顔が浮かび、思わず笑ってしまった」
・「街角で偶然出会った君の姿は、まるで幻のようだった。そして、またもや遠くに行ってしまった」

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