2011年3月11日の行動ログ

明日で東日本大震災の発生から10年が経ちます。時間の経つのは速い…。しかし、10年たってもあの日の自分の行動は鮮明に残っています。記録のためにログをこちらに残します。

2011年3月初旬。このころ、東北で地震が続いたり、鹿島のほうでイルカが大量に陸にあがったりと???な出来事が続いていました。

2011年3月11日。この時期は会社を休んでいて、この日は神保町シアターの特集「女優とモード 美の競演」を観に行きました。

一本目は12時スタートの「おしゃれ忠臣蔵」。忠臣蔵の世界を洋裁学校に持ち込むという思い切った作品。岡崎友紀とか、岸ユキとか、子どもの頃におなじみだった女優さんが出てきたのが懐かしかったです。終了後、駿河台下のキッチンカロリーで遅い昼食。

二本目は14時15分スタートの「君も出世ができる」。やっと映画館のスクリーンでこの作品を観ることができる!とワクワクしていました。上映前に流れる「非常口の案内」をいつもは聞き流していたのだけど、この回はなぜか耳に自然に入ってきたのでした。

上映開始。…そして「それ」は(小松左京先生風に)こともあろうに映画のクライマックスに起きたのです。雪村いづみがアメリカから帰ってきて旅行社に入ってくるあたり。あの「アメリカでは」で登場人物が盛り上がる場面の直前。

とにかく長い揺れが続きました。揺れがおさまったあたりで、私も逃げることに。神保町シアターの上り階段が、いつもの倍ぐらい長く感じられました。ちなみに、いま思い返すとスクリーンが地下だったせいか揺れの強さはそれほど感じませんでした。揺れた時間はともかく長かった。…それにしても、上映前の非常口のアナウンスが妙に耳に残っていたのは虫の知らせだったのでしょうか。

あまりにも尋常じゃない揺れだったので、受付の方に携帯のワンセグでNHKニュースを見せてもらったら(当時はPHSユーザーでワンセグが見られませんでした)、東北地方の太平洋岸に赤色の線が引かれている。黄色じゃなくて赤!警報だ!とんでもないことが起きた!しばらくして支配人氏から上映中止の説明があり、代替え分のチケットを頂く。これが14時57分ということは発震約10分後。

神保町シアターは耐震構造がしっかりしているので中に残ってもよいとのことでしたが、私は自宅までのルートに公園がたくさんあるのとウォーキングシューズを履いていたので、自宅まで戻ることにしました(最も、今の判断だったら中に残ることを選びます。当時の選択は、途中で余震などに襲われる可能性もあり危険だと思いました)。三省堂書店や東京堂書店は臨時休業。路面に置かれていた本棚が倒れていた書店もありました。

家に電話したところ、この時点ではPHSはつながったのですが、これから後は全くつながらなくなってしまいました。

すずらん通りから共立女子大方面に向かう途中で余震が。地震が起きるときに地鳴りがするという体験を初めてしました。

皇居にたどり着くと、内堀通りはヘルメットをかぶって避難用具を持った周囲のオフィスで勤務する皆さんが大勢避難してきていました。この日は金曜日で皇居東御苑は休園日。

災害伝言板もこの時間帯に始まったのですが、さっそく使おうとしたところ東京は対象外ということで利用できなかったのです。

この後、Twitterを見たりウォークマンでNHKFMを聴くことで情報を集め始める。どうやら、東北に想像を絶する津波が来たらしい…。皇居前広場に着いたあたりでちらちらと小雪が降ってきましたが、しばらくして止みました。この辺りで、サーバーに押しつぶされた男のデマが流れてきたような。

日比谷公園に着くと、多くの人が避難してきていました。このまま自宅へ進むことに。途中のコンビニで、ラーメンなどを買いました。16時ごろはまだコンビニの在庫も多めだったような気がします。公衆電話には行列ができており、地下鉄が止まったためかバスが満員でした。ここから自宅に戻るまでは、他地域の友人からの安否確認のメールを受信したり、Twitterで友人やフォロワーさんたちと情報交換しながら移動しました。Twitterが私のネット生活で本格的に活躍したのは、この時からではないかと思います。17時前に会社の安否確認メールも届きました。数か月に一回安否確認メールの訓練を知れいたのが幸いし、さくっと返信ができました。

そして自宅に到着。この後もTwitterで帰宅中の友人をフォローアップしたりしていました。ガスが止まってしまったので、メーターのところに行ってみると再開方法のマニュアルがちゃんとメーターにぶら下がっていて(東京ガスグッジョブ!)、手順に従ってメーターを操作したら無事に再開しました。
それから今も特記しておきたいのは、東京MXテレビのTwitterアカウントが、こまめに帰宅困難者の支援情報などを流してくれていたことです。こんな感じでした。

この晩は、再度地震が起きた時の対応策で、パジャマでなく服を着て眠りました。長い一日は終わりました。そして翌朝目覚めたときにテレビから聴こえてきた「五浦の六角堂が津波で流失した」というニュースで、あの地震は夢ではなかったのだ…と思ったのでした。

ちなみに「君も出世ができる」は数年後に神保町シアターで再建することができました。





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