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挑戦する移住者 vol.5 〜新卒でUターン?地元のために働くという選択〜

こんにちは!Koseiです。
本日は新卒でUターン協力隊をしている久保田さんにお話をお伺いしてきました。
高校まで人吉球磨地域で過ごされたのち、域外へ出られたそうですが、地元に戻ってきて協力隊に従事する理由とは、、、?


自己紹介をお願いします!

久保田有虹(くぼた あこ)22歳です。小学校まであさぎり町の岡原に住んでいて、中学、高校時代は人吉に住んでいました。大学は大阪の方に進学し、卒業後の現在は出身地でもあるあさぎり町に戻ってきています。

人吉球磨の学生の進路ってどうなんでしょう?

中学校卒業後は人吉高校が多いなっていう印象はありますね。私は両親が人吉高校卒なので、その流れみたいなのもあります。あとは、人吉に引っ越したことで、家から近いということもあって。今はあさぎり町の須恵から通勤しています。高校卒業後は進学や就職はほとんどが域外、県外に行ってしまう方々がほとんどです。

大学を卒業されたばかりですが、経歴について教えてください

大阪の関西福祉科学大学という大学に通っていました。専攻は健康福祉学部の健康科学科でした。そこが養護教諭を専門にした学科で、養護教諭の免許取得の勉強をしていました。

地元に帰ってきた理由

えっと、、正直な話、大阪に残りたい気持ちはあったんですけどね。
でも帰ってくるならあさぎり町がいいなと思っていました。小学校まで過ごしていたこともあって、そんな馴染みがあるのはあさぎり町でした。
しかし今となっては大阪よりもあさぎり町の方が好きです。(笑)
まだ帰ってきて2週間くらい(取材時点では)なんですけど、やっぱり人の温かさというものを感じます。あと、小さい頃に祖父に山に連れて行ってもらったり、自然に触れる機会が多かったので、そういうのもまたやりたいなと思いました。

そのきっかけは…

都会に疲れたとかはないです。(笑)
両親や祖父母、周りから戻っておいでといった声かけがあって、帰ってきたいなと思いましたし、長期連休には知り合いが居てやっぱり楽しいなと思って。それで帰ってきたいなと。実際数年しか離れていなかったので、変わったと感じるところは特にないかもしれないです。

今のお仕事について

健幸運動教室の指導補助をしています。
元々、養護教諭を目指していたということもあって、人になにかを伝えたり、教えたりすることは面白いなと思います。
自分で進んで行動しないといけないところや、相手がどんなことを考えているのかを読み取るのが難しい部分はありつつも、声かけなどを通して、しっかりとその方を見て気を配っていけるようになれたらいいなって思ってます。

地方での生活の良し悪しって?

大変なこと

自分の趣味になっちゃうんですけど、ライブとかに行きづらいところですかね…。
土地柄行きづらいのもありますし、アーティストが来てくれるような場所もないので。そこは不自由さがあるかもしれないです。
また、私の場合大阪では、徒歩や電車移動が多かったので、こっちだと車を運転しなきゃいけない機会も多くて、びくびくしながら毎日通勤しています。笑

逆にいいところ

買い物等は特に不自由なくできています。祖父母の家に住んでいることもあるんですけど、自給自足ほどじゃないですけど畑があります!
季節によって変わるんですけど、アスパラとか、レタスとか、たくさんの野菜を育てています。
都心では体験できなかった自給自足的な楽しさがあります。特に祖父は「the 山の人」で猟もするので、鹿や猪を獲ってきて捌いてるのを小さい頃から見ていて、その肉も食べていました。
こういった地方ならではの生活ができるのも、あさぎり町に住んでいる理由の1つでもあります。

今後の目標

目標は、協力隊としてあさぎり町に貢献できるように知識を増やすこと。また、今まで学んだ知識も活かしつつ、利用者の方々に親身に接することができるようになることです。
都会では経験できないことがたくさんありますし、自然が豊かで綺麗な場所もたくさんなので、ぜひあさぎり町に来てください!


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