なぜ高齢者の運転は無くならないのか
1ヶ月位前、ついに免許を取得した。
5月ごろから自動車学校に通い始め、3ヶ月ほどでの卒業であった。
私の住む田舎では、車がないと何かと不便だ。駅までは歩いて30分以上かかる。バスを使えば良いのだが、その分の交通費が出ないという理由でバイトのたびに歩いていた。
それくらい田舎では車が必要不可欠なのである。それ故に、高齢の方でも運転をする。自動車学校では頻繁に高齢者講習を行っていた。
そう、怖いのである。近くに住む祖父母の運転する車に乗ることもあるが、そこそこ怖い。かといって免許返納ができるか、と言われればそれも難しいものだ。買い物に行こうにも車が無いと行けない。重い荷物が運べない。
高齢者の運転は無くならない。
もう一つ、いわゆるR害というやつについて。
事故を起こしても謝らない、危険運転をするといった話がある。私は某愛知県のYoutuberをよく見るのだが、よくBMWをぶつけられている。
なぜ謝らないのか。この間、祖母の車を運転して乗せているときにそんな話になった。
結論から言おう。「先に謝ってはいけない、非を認めてはいけない」という認識が有るからだ。
謝る、それはすなわち自らの日を認めるということだ。自動車事故において非を認めると、もちろんだが費用負担などが大きくなる。片方の車が完全に停止していれば「10:0」、動いていれば「8:2」の費用負担を~なんていう話があるが、ここに関わってくるのである。
…かといって、謝らないという行動は正しいことなのだろうか?
悪いことをしたら謝る、という行動は小さいころから教わることである。このような基本的なことができない、ということは良いこととは言えない。
「謝る」ということはとても大切だ。この心を忘れてはならない。
ここまで車の話をしたということは。そういうことだ。(どういうことだ)