アグネスハンタ (Family#1-t)
血統
1980 Agnes Hunter
父 1967 Huntercombe ⁃ GB
父父 1961 Derring-Do ⁃ GB
父母 1957 Ergina ⁃ GB
母 1966 Royal Sash ⁃ GB
母父 1951 Princely Gift ⁃ GB
母母 1957 Sash of Honour ⁃ GB
Nearco 5×4*4
Pharos = Fairway 4×5・5*5
Good Deal 5×5
父 Huntercombe ⁃ GB
Huntercombe[ハンターコム]は2歳から3歳までスプリント路線で活躍し、引退後はアイルランド→日本→フランスを渡り歩いた種牡馬。父 Derring-Do は2000ギニー馬 High Top などクラシックウィナーを複数輩出しています。
Derring-Do の血統表を見ると Nearco 3×4からの Pharos 4×5*5 。母 Ergina が Fairway の2×4。つまり Huntercombe は《Pharos = Fairway》が計5本の5*6・6×3*5になります。
そんな彼を支える屋台骨は Northern Taste でお馴染みの牝系。三代母にあたる Gilded が Pretty Polly の4×5ファミリークロス持ちで補強もしっかり。加えて5*4×6になる Canterbury Pilgrim アソートを Pretty Polly の位置で組み合わせておいて、異系になっている Dastur のところは Miss Agnes 牝系からの Concertina(Plucky Liege の母)ですから贅沢すぎる。
曾孫となる Huntercombe を見てみれば女王 Lady Josephine の6×4が存在しています。名牝を重ねた彼の牝系ですからさもありなん、なるほどスプリンターの素質は彼女由来なのかもしれません。* 息子のアグネスハンタは母父 Princely Gift なので7*5×6(Mumtaz Mahal 6×5)と再び増幅しています。
Huntercombe × Royal Sash
父 Huntercombe で一番特徴的な血統構成は Royal Sash の血脈を遡るものでもあります。両者が出会って更に増幅されてた組み合わせは以下。
とっかかりとしては〈Solario / Arion / Security〉を共通して持っている《Yasna ≒ Straight Deal ≒ Salecraft 》4*4×4になります。
あまり見掛けることがない辺鄙なニアリークロスを3×3の強さで抱えていた Huntercombe と Security を牝系に持つ Sash of Honour の組み合わせが何故か日本で実現していたのでした。
アグネスハンタから数えてみると、父系三代父 Darius と母 Royal Sash が抱える牝祖 Security 6×8のファミリーラインクロス。さらに父の母系側にいる Straight Deal を通じて、Security から三代進んだ Good Deal の5×5を重ねていて、これはもうピンポイントに狙ったとしか思えません。
もう少し俯瞰してみると Darius の父父と Sylko の父が共に Nearco ですから《Darius ≒ Sylko》。それでもって Nearco の父 Pharos は Fairway と全兄弟です。えーとあのここはもう《Darius ≒ Ergina(Ballechin) ≒ Sylko》の3*2(3)×3ってことでいいんじゃないかなだめかな。
* Darius といえばアドマイヤコジーンの母母 Mrs. McArdy[ミセスマカディー]が英1000ギニーを勝っています。そこに Northern Taste[ノーザンテースト]を迎えたのが母アドマイヤマカディ。ダイナコスモスは Huntercombe 産駒で母父 Northern Taste です。アグネスハンタの血統が残っていたとしたら、それからもしダイナサツシユと Huntercombe の仔がいたならば……どんな未来があったのかなとも思ってしまいます。
Agnes Hunter (1980)
早来 社台フアーム
渡辺孝男
美浦 稲葉隆一
牝系の欠片を散りばめたような血統を持って生まれたアグネスハンタ。
父と同様にスプリンターとしての素養を買われていたようでした。
2歳10月にデビュー。不良馬場の東京ダート1200。
タイム差にして1.3秒なんと8馬身の圧勝劇を演じてみせました。新馬戦とはいえ、距離を踏まえると相当な数字に思えます。
その翌月。出走予定だった福島芝1000の野菊賞を除外となり、そのまま抹消。一戦限りの戦績を残しただけで瞬く間にいなくなってしまいました。
競走生活を全う出来たなら、どこまで行けたのか残念でなりません。