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あのTシャツの発祥地 久米繊維工業株式会社

はじめに


 墨田区は昔、町工場で栄えていた。しかし現代、町工場は衰退に向かっており、どうにか盛り上げようと町工場の方々は奮闘している。そんな方々の奮闘に少しでも力になれたらと思い、墨田区大平町の町工場を一つ選んで紹介したい。

 墨田区太平には38もの製造業者がある。今回は繊維工業に的を絞って探ってみる。中でも私が注目したのは、衣服の製造を行う「久米繊維工業株式会社」だ。久米繊維工業株式会社では、環境に配慮して時代のニーズに合わせた衣服の製造を行なっており、どの中小企業よりもいち早く取り入れたシステムがある。

   戦前よりも前に創業された会社は、どのように工夫して今の時代まで続けてきているのだろうか。太平の企業を巡りながら解き明かしていきたい。
 

太平の繊維工業


 大平町で最も多い工業は繊維工業であり、合計9つある。ざっとみると、ミシンを得意技術として紹介している企業が多いように思う。人間が一つ一つミシンで作る洋服、、、愛情が込められていることだろう。とても恋しい。中には穴がかり・ボタン・ホック付けを得意としてアロハシャツを製造する企業もある。墨田区の老舗企業のアロハシャツ。気になる以外の言葉が見つからない。昨今の猛暑の中、通気性・薄さ抜群のアロハシャツの需要は増加していると思うのだが、気のせいだろうか。ぜひ行ってみたい。

 また一つには、オリジナリティのあるスポーツウェアを作ると大々的に紹介している企業もある。大手メーカーがスポーツ用品店を占拠する現在、墨田区のスポーツウェアはどのように生き残り、消費者はなぜ墨田区を拠点として作られたそのスポーツウェアを好むのか、好奇心が尽きない。
 

 このように、墨田区の繊維工業には一つ一つの企業に独特の個性を感じられ、HPを読むだけで、一着一着愛情を込めて作っているような優しさを画面越しで感じることができる。ファストファッション店に無表情に並ぶ洋服とは全く違うのだ。

なぜ久米繊維工業株式会社?


 テクノシティ墨田を涼しい自分の部屋で一通り見ていると、墨田区の洋服屋さんは若者向けにも対応しているのか?と一つの疑問が浮かんだ。 そこで繊維工業の中から選ぼうと決める。

  また一通り見ていると、なんとなく久米繊維工業のwebに飛んでみた。するとそこには、端正豊かな男女がかっこよく一枚の無地Tシャツ・パーカーを着こなして写っている。え!?墨田区の企業webのクオリティ高くね!?!?正直そう思った。さらに環境に配慮した洋服を作っているとある。環境問題に目がない私からしたらウキウキ案件だ。まさか墨田区で環境に配慮した先進的なものづくりを、10年以上前からやているなんて。。感きわまる。

 なんせ私は墨田区について全く知らないハマっ子だから。今思えば本当に無神経なことを思ったものだ。ごめんなさい。まさか町工場で栄えていた墨田区の企業が若者向けに、また流行にも乗っている洋服を作っているとは思っていなかったため、即決でここについて調べようと決めた。

久米繊維工業株式会社の歴史


▷創業
  1935年1月1日に東京本所石原町(現在の墨田区石原町)にメリヤス製造の町工場として久米莫大小製造所を創業した。
▷日本Tシャツ「色丸首」を販売開始
  まだTシャツという言葉だけでなく、Tシャツ1枚で街を歩くファッションが浸透していなかった1950年代半ば、久米繊維工業の2代目が、日本におけるTシャツ製造の先駆けとなる国産アウターTシャツを開発し、販売した。当初はTシャツではなく、「色丸首」として繊維の中心地であった、東京日本橋横山町の街問屋で販売し、徐々にTシャツの認知度を広めていった。 

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▷自社企画のプリントTシャツの販売を開始
  1970年代の日本発のブランド創世期に、有数のブランドの生産を担当する。また、自社企画のプリントTシャツを発表し、Tシャツメーカーとしての地位を確立したため、独自のノウハウと品質管理で有名なデザイナーやブランドの信認を受ける。その成果が認められ、1986年には国際スクリーン印刷連盟主催のプリントショーに置いて最高賞である、ゴールデンスキージ賞を受賞した。
 

▷環境への取り組み。「色丸首」の再創造。
  2000年に発足したNPO日本オーガニックコットン協会の法人正会員となり、オーガニックコットン製のTシャツを定番製品として販売し始める。生地だけでなく、「久米繊維謹製」ブランドの生産にグリーン電力証書システムを採用するなど、環境への継続的な取り組みを進める。2006年、1950年代半ばに国産Tシャツの先駆けとなった「色丸首」を、復刻するのではなく、50年経て進化した現代の技術で再創造し、販売した。
 

▷久米繊維工業株式会社の現在
 「久米繊維謹製 色丸首」は様々なメディアで紹介され、ロングセラーとなっている。墨田区の地域とも密着してオリジナルTシャツを販売。斬新な企画が話題となり、現在では成田国際空港免税店などでも販売となるヒット商品に成長した。従業員は東京本社に8名おり、全国では90名いる。

久米工業株式会社に行ってみる


 久米繊維工業株式会社は、蔵前橋通り沿いにある。戦前に作られたものは戦争でなくなってしまったため、新しいビルで営業している。すぐ横には居住アパートと逆輸入車取扱店。なんだか難しそうな輸入。。。目の前には日本屋楽器が売っているらしい。

 お店の中ではマネキンが洋服を着ている。残念ながら中までは入れなかったが、マネキンからおしゃれな雰囲気を醸し出している。

時代に合わせた製品の提供


 久米繊維工業は、戦後すぐに欧米で主流のTシャツである「色丸首」を広め、Tシャツを日本に普及した先駆者であることがわかる。また、昔ヒットしたものを昔のままで売るのではなく、技術の発展に合わせて進化を遂げている。

 会社のホームページを見ると、若者向けのビッグシリーズも作っており、種類やデザインが多岐に渡ることから、時代のニーズに合わせてより良い製品を提供しようとしていることが伺える。

 写真を見てわかるようにシンプルでおしゃれでしかも日本製、、、私もオンライン販売で一枚買おうとしている。下記の写真を見て、この洋服が墨田区の戦前から製造している町工場を発端として作られていることを想像できるだろうか。できる人はいないと言っても良いだろう。

 町工場は、私たちの身近にいるのかもしれない。

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久米繊維工業株式会社の強み


 ネットで「色丸首」と検索すると、一番上に久米繊維工業株式会社が出てくる。これほど有名になった要因には、時代に合わせた商品の開発・ネット販売の強化・早い時代からの環境に配慮といった三点があげられると考える。

 技術を踏襲するのではなく、時代のニーズに沿った商品の開発を続けているからこそ、衰退していると言われている町工場で生き残れているのだと思う。

まとめ


 私は正直、墨田区を調べる前までは、町工場で作られているものは小さな部品などの地味なものが主流だろうと思っていた。しかし実際、久米繊維工業について調べると、歴史ある中小企業でも伝統的なやり方に固執せず、新しい技術を取り入れて、環境にも配慮した商品を提供していることがわかった。

 小さい企業でも、時代に合わせてネット販売を強化したり、環境に配慮することで先進的なやり方を更新すれば、世界の玄関口である成田空港でヒット商品になれるということに感銘を受けた。
 

参考文献

・久米繊維工業株式会社ホームページ



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