縁もゆかりもない錦糸町商店街に突っ込む
なぜ錦糸町商店街?
横浜で生まれてはないが、物心つく前には横浜で生きていた浜っ子が、なぜ錦糸町商店街について深掘りしようとしているのか。
大学で墨田区の製造業について勉強している。グループで話し合うとでた考えが、「墨田区の商店街を通して町工場で働く人々の生活を垣間見る」ということだ。
錦糸町といえば「繁華街」というイメージしかない。しかし、町工場が多い墨田区錦糸町に、今はやりの繁華街というイメージだけを持つのはやめたい。深掘りすれば、昔ながらから根付く人情厚い人々の生活について発見があるはずだ。
それ故私は、「錦糸町商店街」について調べることに決めた。
錦糸町商店街
錦糸町駅から歩いてすぐの、墨田区随一の繁華街がある南口に広がる商店街。1982年に「河内音頭」を東京で開催しようとしたことをきっかけに作られ、墨田区の中でも歴史ある商店街の一つだ。付近には大型商店街と中小商店があり、それらと共存しながら地域の発展に努めている。
上部のエリアは錦糸町商店街振興組合から引用した。紫の39個の点が錦糸町商店街や会員の店の場所を示している。錦糸町駅付近には今でも多くのお店が残っていることがわかる。
現在商店街には約40店舗のお店が軒を連ねている。中でも最も多いのが「飲食業」。次に多いのが「貸しビル業」。ビルを貸してお金を得ることはわかるがあまりよくわからない。
商店街には、老舗の三浦三崎の魚を提供する「三浦三崎港魚寅」というお魚屋さんがある。googleマップで行くとすぐ近くには大型デパート。隣には新しいビル。二つのデパートに挟まれた老舗の魚屋さんは、時代の変わりようを眺めてきたのだろうなあ。築地でなく三浦三崎の魚を取り扱っているところに惹かれる。
「三晃堂」という携帯電話などを販売するお店もある。またgoogleマップで見てみると、昔ながらのビルに入っている。HPを覗くと見た目とは裏腹になんだか先進的なことをしている。びっくり。
このように、錦糸町商店街には、古くから営業していて、地元の人に愛され続けているお店がいくつもある。
錦糸町商店街と河内音頭
1982年に大阪の河内音頭を東京でやろうとした場所が錦糸町だった。今年で39回目を迎える。残念ながら、2020年の開催は中止となってしまった。
上部の動画は2019年に開催された河内音頭in錦糸町の動画である。実際聞いてみると、三味線などの音色と歌声が湿ったい東京の街を涼しくさせてくれているように感じる。(私だけだろうか。。。)イベントでは和太鼓や三味線、歌い手による生演奏が聴けることから、二日間の開催で述べ3万人の人が訪れる。みんなで夏を感じられるお祭りだ。
年に一回の大イベントのため、商店街の人たちは錦糸町を盛り上げようと協力し合う。
錦糸町商店街の今
全国で衰退が激しい商店街。しかし錦糸町商店街について調べ、googleマップで歩いてみると、錦糸町駅付近の栄えたビルとは逆行した下町風の商店街がある。
確かに長年開けられていなさそうなシャッターが出迎えてくれる光景は多々あるが、様々な年齢層の人たちが買い物をしていたり、巷話に花を咲かせているような光景もある。都心とは違う栄え方で栄え続けている。
昔から足しげく通い続けている人も多くいるだろう。商店街は地元の人たちにとって憩いの場であり、時代の流れに流されない景観を保った、なくてはならない存在なのだと思う。
最近では暑さ対策として「移動式ミスト」なども取り入れている。多くの人が安心して買い物できるよう、商店街全体で協力している。
錦糸町商店街も年々お店の数が減ってきているが、そのまま衰退し続け、無くなってはいけない。ストリートビューからでもわかる、錦糸町商店街の活力を維持し続けて欲しい。
参考文献
・錦糸町商店街振興組合ホームページ
・東京都墨田区役所ホームページ