4月24日ボーリングに行って、カラオケに行く
昨日から、エスプレッソコーラを読み出す。
これは本当にただで読んでよいのだろうか、心配になる。お金払って読ませていただきたい。
長女には何かしらの発達障害があるような気がして、ずっと不安だった。
結局のところ、恐らくは少し内気で、友達ができにくい位の話で、中学生になった今ではクラスにこそ友達はいないものの、部活にはちゃんと友達ができた。ただ、小学生卒業するまで、ちゃんと友達って呼べる人もいなかったし、友だちと放課後や休日に遊んだこともなかった。
なんとなく目線とか、会話の癖とかが少し一般的な、普通の範疇からは少しだけずれているような違和感があって、果たして長女は大丈夫だろうか、とずっと思っていた。だから、育児の本とか、発達障害についての本とか、少しずつ読んで、ネグレクトとか、育児放棄とか、そういうのも読んだりしていた。
でも、そういうのよりも、このエスプレッソコーラが一番学べる。
今日は市役所に書類を出しに行く必要があり、午後には高ストレッサーとして産業医と面談に行くので、1日休み。朝、妻は小学校の旗当番だったので、僕が長男と次女を送り出すことに。
次女が出際に学校帽がないと焦りだし、そのへんにあったのを渡すと「これは(既に中学生となった)ねえねので、ゴムがビョンビョンだから、嫌だ、これだと学校行けない!」とぐずる。あー、これは昨日エスプレッソコーラで読んだ癇癪と一緒だ、と冷静に受け止められた。あたりを探すと帽子が無事に見つかり、次女も無事に登校。
自分が次女のぐずりに冷静でいられたことに少し驚く。知識を得て、学ぶと、何かの事象に対峙した時に感情が飛び出そうとする直前で、保護膜のように、これはあそこで学んだ事象なのでは、と類型化され、その背景を理解しようという姿勢に変わる。
そういえば、職場にも、なんでこの人はこんな感じなのだろうか、と少し腹を立ててみている人物がいる。言われていないことはやらない、攻撃性が高い(すぐムットする、語気が強い)、明文化されていないルールは勝手に自分で解釈して、いわゆる「普通」や「暗黙の了解」が分からない感じ、冗談も通じなさそうだ、権利意識が強い、こういう感じ。
これはやはり、何かしらの傾向なのだろうか。自分の接し方も変えなくてはならない。少しだけ仕事を一緒にするときがあるのだが、明確に避けてきた(面倒くさいし、こちらも傷つけられそうだったので)が、少し踏み込まないといけないのかな、という気持ちになる。
エスプレッソコーラを読むと、性格が曲がっているとか仕事ができない、という以前の、個人が抱えている、脱ぎ捨てられない気質があるのだと、改めて認識する。
電車で、隣に強い犬の匂いの人が座る。
休みだけど、取引先の人からこっそりと相談に乗って欲しいと言われていたので、昼食前に打ち合わせをする。僕が去年やっていた案件で、今年は僕は関係外なのだが、今年の担当から明確なオーダーがされておらず、どのように対処すれば良いのか、と相談を受ける。仕事はこうして人間同士で回るし、仕事はこうして増える。当然に、頼られているから嬉しいことでもあるから難しい。
どこかで傘を忘れてしまった。どこだったのだろう。電車の中か、取引先か。とにかく既になくなってしまった。傘の自由化は可能か、という本を書いたのは誰だったか、聖の青春を書いた人だ。あの人の書いた、ドナウよ、静かに流れよ、だったかは印象深い本だった。
産業医と面談。「あなたの抱えている問題は組織的な、体制的なものであり、解決はとてつもなく難しい」と言われ、終了。それをどうにかしたくて、わざわざ仕事を休んでまで面談に来たのに、虚しくなる。途中から僕が先生の話を聞いてあげている感じにもなって、尚の事残念。
会話は噛み合わない。言及している対象が、お互いに対象の想定が異なる場面が何度もあった。いえ、それはその人達についての話ではなくて、違う人の話です、と修正した場面が具体的に何度かあり、めんどくさくて諦めたのシーンもあった。
会話は難しい、と改めて感じた。産業医はその仕事のプロであって、卓越しているはずだが、その基本的な患者に対してのヒヤリングで違和感や不安を覚えさせるのは、こちらの問題なのか、先生の問題だったのか。
例えば、先生が一般論なのか、個別具体的なケースについて言及しているのかが分からない場面がたくさんあり、例えば先生が「そういった(上役の)人は能力も責任感もあって、、」と言って、僕は自分の職場の上層のメンバーについて言及されているのかと思い、どうなんでしょうか、そうでもないケースもありますが、と言うと、「いえ、細かいところは聞き流してください」と言われた。そこで僕は、先生は一般論について話しているのだと一方的に理解せざるを得なくなるわけだが、先生が一般論としてその言及をしたのかの判断は一方的なもので、明確にはされておらず、果たして先生はどういうイメージで話しているのか分からん、という場面が多かった。
その結果、この人はきっと僕の投げたボールの半分くらいは受け取れていないと思って病院を出た。それは僕にも問題があったのだろう。伝え方が良くなかったのだろう。はじめから期待などしないようにしていたし、してもいなかったつもりだが、僕の話が伝わっていないような気がしてがっかりしたので、少しは期待していたのだろう、と気付く。
組織的な問題だから、解決は困難だ、と言われたら辞めるしかないよね、静かに折り合いをつけるよ、と妻にラインをする。妻からは「産業医は、健康面やハラスメントを取り扱うだろうから、あなたの抱えている課題に対処するのは難しいのだろうね」と連絡がくる。
その通りで、僕は自分の感じていることを個人として解決してほしくて産業医と面談したのではなくて、産業医という第三者から、職場の問題点を指摘してもらい、それによって少しでも改善されないか、というルートでの解決を望んで面談に行った。恐らくそんなことは起きないのだ、と分かった。
しかし、医者と二人で話していると、自分こそが間違っているのではないか、という錯覚になる。特に、エスプレッソコーラを読んでいる最中だから、自分も何かしらの特性があるのだろう、という前から感じていたことが確信的になっていっているので。
面談を終え、今日は親友たちと会うことになっていたので、待ち合わせの時間までブックオフで本とCDを見る。幾つかの面白そうな本と、値段と価値が見合っていないCDを救出するように買う。
立ち飲み屋で待ち合わせしたあと、ボーリングへ行く。何年ぶりだろうか、ボーリング。10年以上やってないのではないか。3ゲームやり、何故かアベレージ130くらいの高スコア。
その後カラオケにいく。高校生みたいな遊び方の1日。