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1月28日ダリ展に行く


今日も起きたのは8時半ごろ。寝たのは1時頃だったか。

妻より先に寝るのはなんだか悪いので、妻が起きているときには起きているようにしているが、昨日は妻を待つ時間でも、ほとんど炬燵のなかで寝ていた。

今日はプリキュアが最終回だった。今回のプリキュアはほとんど見ていないので、プリキュアの名前すらわからない。「ヒーローガールスカイ」と「広がるスカイ」という音の合わせ方は結構好きだったんだけど、なんかいまいち見る気になれなかった。

次のプリキュアはワンダフルプリキュア、という恐らく犬をテーマにした題材らしい。

その後、仮面ライダーも少し見つつも、適当に切り上げ、お風呂掃除や洗い物をして、身支度を整え、今日は皆で角川武蔵野ミュージアムへ、ダリ展を見に出かけた。 

まるで岩そのものみたいな、角川ミュージアム

車のなかでは子供たちはKindleでジョジョのアニメを見ている。今、3部のちょうどイギーが出始めたころ。もう25年くらい昔にコミックで読んだ限りなので、記憶があるようなないような、という記憶も朧気なのだが、それでもイギーはかわいくて健気だった記憶がある。ナウシカでいえば、カイのような。

子供たちがジョジョをアニメを見ている間、僕は妻と話したり、音楽をスマートフォンで聞きながら運転をしている。運転をしながら聞く音楽は、心地よいものがいい、風景が車と一体になって、自分の意識も一緒に後ろに、速度と時間と陽光に流されていくものがいい。

ということで、今日はXINUを聞きながら車は走っていた。

恐らく3年ぶりに来た、角川武蔵野ミュージアム。以前来たときは、長女と二人できた。「俺の誕生日なので、一緒に行ってくれないか」と、子供のなかで一番こういう文化的なものを好んでくれそうな、というか単純に一番年が一番上なので、飽きずに楽しんでくれそうな長女と一緒にきた。

ダリ展は、ダリの絵が飾られているのではなくて、「体験型」ということで、空間いっぱいにダリの作品が動きをもって迫ってくる、というもの。

空間という空間がすべてダリで満たされていて、しかも音楽はずっとピンクフロイドで、とにかく非現実的で、没入感がすさまじく、とにかくぼーっとトリップしていた。

奇妙で、気持ち悪くて、神々しくて、まるで神話のなかにいたみたいに、体がドロッとした養液に包まれたみたいで、気持ちよかった。途中で何回も寝ていた。子供たちもそれなりに楽しかったようで、一安心。

子供にとって、何がどのような影響を及ぼすのかは、分からない。些細な一言でも、大きな影響をずっと持ち続ける、というのは僕自身も体験している。

例えば、昔母から「お前が意思が弱い」と、両肩を揺さぶられて叱られたことは、今でもごろりと、遺物のように体の中に残っていて、それによって少し自分は、ふと無意識でいると、すくんでいる気がする。すん、といつもしてしまう錯覚が体にはある。

多分、小学2年生くらいだったと思うけど。そんなときに「意志が弱い」とか言われてもさ、それはあなた方にとって良い子ではなかっただけで、そんなやつはただお利口なだけではないか、と今なら言えるが、当時はそうではなくしっかり真に受けて、自分はダメなんだな、と思った。

「意志が弱い」などという、鋭利な言い方はしなくてもいいのだ、そもそも。もっと、しっかり、分かりやすく説明してほしかった。仮に叱られるにしても、もっと言葉を適切に扱ってほしかった。今でもそう思う。

子供の中に、何か今日のダリ展が折り重なっていてくれれば、と思う。

帰りの車も、子供たちはジョジョを見て帰る。僕は相変わらず、妻と話しながら音楽を聴いて帰る。

家に帰ってから、少し落ち着いたら走りに行く。先週から履きだしたシューズに慣れてきて、少しずつ早く走れるようになってきた。

息子とお風呂に入ったのだが、とにかくずっと息子はジョジョのスタンドについて話してくる。

僕はほとんど覚えていないので、あいまいな返事や相槌しかできないのだが、とにかく話が止まらない。

話したくて仕方ないみたい。自分が小4のときに、こんなに父親に話を聞いてほしい欲求はなかった。

というよりもむしろ、何を話していいのかわからなかった。不機嫌な時が多かったので。今でも正直、何を話していいのかわからないくらいだから。

お風呂から上がって、長男の髪を乾かしていると、ウノをやりたいというので、マクドナルドのハッピーセットのおまけについてきたウノでやる。次女は人形遊びをしていたので、妻と長女と長男と僕の4人。中1の長女が大きな声で笑いながら楽しそうにウノをしていたので、そうか中1になっても親と一緒に遊んだりして楽しいんだな、と驚き、うれしくなる。

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