「私がフェミニズムを知らなかった頃」を読んで(4月4日(月))
昨日寝た時間 :24時45分
今日起きた時間: 7時15分
今日は、先日の休日出勤の代休。代休といっても、免許の更新に行かなければならない。家には春休みの子供たちがいるし、自分だけに使える時間、ということではない。
朝起きて、うどんを食べて、身支度をして、妻と二女と一緒に車で家をでる。二女を保育園に連れていき、そのあと、妻を職場まで連れていき、そして警察署に行って免許更新をする。
警察署には色々な人がいる。ガラの悪そうな人、怖そうな人、普通の人、若い人、お年寄り。警察、というシチュエーションが色眼鏡を持たせるが、ほとんどの人が免許更新に訪れているだけだ。
途中で木の棒を持った警察官が外に出ていく。警察官が木を持つ、ただそれだけなのに、僕は恐怖心に襲われる。何か、暴力を誰か振るわれるのかもしれない、とありもしないはずのことの映像が頭になだれ込む。ビジュアルで脳が勝手に想起することは恐ろしい。
講習を待つ間に、小林エリコ「私がフェミニズムを知らなかった頃」を読み終える。
これは強烈な本だった。今までも何冊か、フェミニズムの本だったり、女性の困難に関する本は読んだけど、ここまでの本はなかった。個人の話とは社会的な構図の話で、そのことが本当に分かる本だった。小林エリコの兄が性的虐待をしていなかったら、父親がもう少し母親を尊重していたら、それだけで人生が大きく変わっていた。
僕の母親は、父と職場で出会い、その後結婚した。そして会社を辞めた。恐らく、保育士の資格を父と結婚した後かその前に取っている(父に、保育園の試験を手伝ってもらった、と言っていた記憶があるので、父と関係があるときに保育士の資格を取っている)。
専業主婦となり、僕が小学生になったくらいにからパートに出た。僕は学童にはいかず、かぎっ子だった。小学校から家に帰ると一人で、そのまま一人で外に遊びに行っていた。毎日毎日友達と遊んでいた。小学3年生位からは塾に通った。
母は朝、父の靴を磨いた。休日には父は横になり、母は父の足や腰、肩を揉んでいた。僕は、それはおかしいとは思っていなかった。父は大学生時代、飲食店でバイトをしていたので料理は上手らしかったが、その料理を食べたことはほとんどない(趣味で釣ってきた魚をさばくことはあった)。父が皿洗いや日常的に掃除をするところも見たことがない。
僕は、父がお店の従業員に横柄にすることが嫌だった。とても嫌だった。偉そうだった。だから、僕は反動でコンビニの店員とか、バスの運転手とか、サービスを受けた人には「ありがとうございます」というようになった。
母は父の従属下にあった、とまでは言わない。当時の普通の家庭で、父が大きなことを決め、母は決められることは少なかった。二人は仲が良かったと思うし、多分お互いそう思っていると思うが、父が母を「あまり賢くない」と思っていることは残念ながら子供の僕には伝わっていた。でも、それが普通なのだろう、当時としては。だから、父が母から些細なことでも指摘されると「うるさいな、分かってるよ」という。それは、今でも変わらない。そして、残念ながらこれは僕にもあることだ。虚栄心なんだと思う。
僕は、妻の人生を奪ったのだろうかと考えるときがある。僕が妻の人生の選択肢を奪い、彼女の社会的な立場を「非正規労働者」にしてしまい、僕が経済的な強者に居座って逃げられない柵に囲っているのだろうか。彼女は僕と一緒になって姓が変わった。子供ができて、それが直接的な原因ではなかったけど、仕事を辞めた。
妻が仕事に悩んでいるときに、僕は「好きな仕事を探してみようよ。やりたいことができるかもしれない」と言ってしまう。日本は、再就職が難しい国だと知っているのに、「やりたいことができるチャンスがあるのだから、やってみようよ」と軽々と言ってしまう。僕は何も分かっていないのだと思う。今の生活は、妻が非正規で短時間で働き、家庭を担ってくれているから成り立っている。それでは、妻が仮に転職して正社員になったときに、僕は働き方を変えて、今よりも家庭にいる時間を作れるのだろうか。職場まで1時間半もかかる。定時で上がっても、最短で家に着くのは18時で、子供の習い事に送ることはできない。
少子化対策に有効なのは、職場と居住地が近いことだと僕は確信している。ただ、大学生時代にそんなことまで就職する人がどこにいるのだろう。関東県内の大学生で、職場と結婚後の居住地を近くにできるのはもともと東京に住んでいた人か、東京に家を買ったり借りられたりするほどのパワーカップルに限られる。
結婚し、子供を持つ、ということに関して僕は選択を誤ったのだと思う。41歳にもなって、転職サイトを見てるけど、転職することは現実的ではないことは分かっている。今より年収が下がる。僕に今できることはなんなのか。働き方を変えて、仕事にコミットしすぎず、定時で早く帰れる日を一日でも多く作るくらいのことしかできない。
男の人は、「私がフェミニズムを知らなかった頃」を読んだ方がいいと思う。これは、僕が幾つか読んできた女性の困難の話のなかでも、最も厳しいものだった。それは、幼少から大人になるまでの個人の困難が書かれているからだ。個人の困難には、社会の課題が潜んでいる。この本には、上野千鶴子がいう「弱者が弱者のままでいていい」というフェミニズムとは真反対のことが精緻に書かれていた。とてつもなく重たい本だった。
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