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日記 2月24日(木)
昨晩寝た時間 :24時15分
今日起きた時間 : 5時35分
朝起きて、歯を磨いて、米を洗って炊飯のセットをして、サプリと青汁を飲んで、パンをチャイラテにひたひたしながら食べて、身支度を整えて出社する。起きてから家を出るまで30分。
この時期、朝6時ともなると空は殆ど暗くも青くもなく、スカイなブルーと言った軽妙な色味で、空気も美味しく感じる。色味と味というのは関連性があるのだろう。
朝の電車のなかで、「さよなら、男社会」を読み終えた。僕には正直、この本が何について書かれていたのか、あまり分からなかった。「さよなら、俺」という題名ならば、何が書かれていたのかはよくわかるのだけど。
自分自身が女性に抱いているもの、というのはこの本の作者の様には正直分かっていない。そもそも、僕は他人との距離の詰め方があまりうまくないと思うので、対人関係は男性であっても女性であっても苦手だし、特に初対面は40になっても苦手だ。仕事関係なら、役割を担うし、役割を背負うのでそこま意識することなく対人関係を結べるが、それが仕事以外の会話に及ぶと途端にダメになる。
この本に書かれていて、改めて分かったことは、男性・女性→個人という流れではなく、個人→男性・女性、という流れにあるはずだ、ということだ。
男性・女性である前に、個人であって、その個人の性別が男性・女性(もっと言えば、セックスとジェンダーまで含めなくてはいけない)ということ。
日中は朝から自分が担当する案件の会議があり、そのために8時に出勤し、資料準備をし、その会議が終わっても午後の会議のための資料作成をし、その間も突発的に打ち合わせや、資料作成などが入り、バタバタし続けた一日だった。明日は在宅勤務だ。
帰りの電車では、「相模原事件裁判傍聴記」を読む。この前に、森達也の「U」を読んでいたので、状況感は分かったうえで読んでいる。森達也が自分と植松容疑者の似ている部分を感じたうえで、当事者性にフォーカスを当てつつ司法裁判の限界に違和感を抱きながら書かれた「U」とは異なり、この本は、雨宮処凛の植容疑者を見るまなざしは、既視感と異物感と突き放しと混乱にあると今のところ読んでいて思う。普通の人からすれば、植松容疑者に感じるものは、森達也の視線よりも雨宮処凛の「この人は一体なんなのだろうか」というものの方が分かりやすい。
22時半に帰宅。今日も妻はポケモンユナイトをやっていた。ポケモンユナイトをしている妻とぽつぽつ会話をしていると、今日は息子からウクライナとロシアがなぜ喧嘩をしているのか、聞かれたらしい。妻が頑張ってNATOを「グループ」と言い直したりして説明したとのこと。