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♭003. Around My World. 3.11に寄せて
どうも。ヤマヘイです。ちょうど震災から10年ということで、少し真面目に書いてみました。
今年であの震災から10年経つ。
あの日、僕はたまたま仕事が休みで地元の女友達とカフェでお茶をしていた。確か車を買いたいとその友達が言ったので、それに付き合ってその休憩とかそんな感じだったと思う。
お店の中でコーヒーを飲んでいると、まるで店が海に航海に出た船のように揺れた気がした。
その時は一瞬体調不良による目眩かと思った。
周りを見るとみんな同じような顔をしていた。
目の前の友達も「なんか・・揺れた?」と訝しがっている。
ということはこれは地震なのかなー。変な揺れだなー。くらいしかその時は思ってなかった。
幸か不幸かその店にはテレビはなく、ラジオもついてなく、BGMには微かにクラシックが流れているだけだった。
地震の大きさを伝えるものはその時は何もなかった。スマホはあるけど、その場の誰もがそこまで大きい地震だと思いもしなかったのだ。
呑気なもので、その後僕らはディーラーに車を物色することにした
(当時はまだ事の大きさに気づいてなかったのだ)。
ディーラーに入ると、何か「非日常」な空気感が漂っていた。
どこか浮ついてるというか、客も店員も何かソワソワしているというか。
そのディーラーの店内のテレビには、東北の様子が映し出されていた。
緊張した声で、津波の接近を伝えるアナウンサー。
水位を増した海。それに飲み込まれる車。町。
車のディーラーで濁流に飲み込まれる車たちを見るという、なんともいえないシュールなシチュエーションだった。みんなただ画面を見つめていた。
店員もどんなテンションで接客していいか迷っているようにも見えた。
そもそも車なんて売ってていいのか、というように。
それはどこか遠くの国の出来事だと思った。でも違った。
自分の国で、今、現実に起こっている事だった。
車を物色しにきた僕らは、当たり前だが何も買わず店を出た。
(それでも一応カタログはもらってきた気がする)
その後、どういう風にその日を過ごせばいいか分からず、「もう帰ろっか」といった風に、大人しく家に帰った気がする。
家に帰って、そこで初めてツイッターやネットでことの甚大さに気づくのだった。遅。
これが確か震災当日の僕の様子。
被災地や関東方面地震を体験された人からすると、なんともぬるい1日だと思う。
その後の日本はご存知の通りだ。
震災による被害は、津波をはじめとした人災だけでなく、福島の原発にも及んだ。
メルトダウンという言葉を聞いたのは、映画以外で初めてだった。
震災が起きて数ヶ月は、ずっと心がザワザワしていた気がする。
「今できることをやるのも支援」
ま、そうだよね。うーん、でもさ。
分かってる。頭では。でも遠く、まだ寒いであろう瓦礫だらけの街で喪失感を抱え、余震に怯えながら夜を過ごす人たちを思うと、堪らなかった。
その時、僕は従事していた仕事と、これからの人生について漠然と
「これでいいのか」と悶々としながら生活していた。
(そんな時、YouTubeでももクロちゃんをたまたま見つけ、雷が打たれたように、どハマりしていくのもこの時期だけど、それはまた別の機会に)
その毎日からのエスケープ願望を、間違ったヒロイズムとエゴイズムにすり替えて、現地にボランティアに行くということも考えたが、結局それは未遂に終わった。
はじめは頻繁に行なっていた募金も、だんだん思い出す時程度になり、被災地への焦燥にも似た思いは、日常へ溶けていった。
でも、確実にあの日以来、自分の中で意識が変わった。
自分でも思ってた以上にこの国が好きなんだなぁと実感した。
それは変なナショナリズムではなく、純粋に
「自分と、家族と自分が好きな人たちが住むこの国」が好きだと。
あの後、自分をはじめ、世論は一気に「脱原発」にシフトしたけど、今ならもう少し冷静に考えたい。
原発のメリット・デメリットを比較し、その他の発電法との比較や併用の可能性を考えてみたいし、単純にもっと多角的に、深く知るべきだと思う。
キレイゴトだけど、色んな方法を考えるようになった。
阿呆は阿呆なり考えるようになったのだ。吽。
この10年でどう変わったか。
世の中も、自分も。
個人的には結婚したり、転職したりという変化はあるが、大して変わってないような気がする。
それでも以前よりは意識的に政治に参加するようになった。
選択すること、出来ることの重要さを考えるようになった。
ここ一年は世界的にもコロナという新しい脅威もあった。
震災にしろ、今回のコロナにしろ、我々の政府の行動や対策は決してベストと言えるものではない。
言えるものではないが、ここであまりポリティカルな話題になりすぎるのも本意ではないし、僕にそれなりの知識や意見があるかと言えば、そうではないのでここでは割愛する。
でも、この10年。さらにこのコロナを経て、漠然とだけど、
「俺や、家族、友達や仲間。そしてその家族が理不尽なことに踏みにじられることなく、それぞれの場所で健やかに暮らせるといいなぁ」とそう思った。
言葉にすると馬鹿みたいだ。でも本当にそう思う。
理想というより、願いや祈りに近いかもしれない。
でも少しでも現実に近づけるにはどうすればいいだろう?
それにはきっと正解なんてない。でも「どうすればいい?」と考え、自分が考えたことを行動に移していく。間違えてたら、立ち止まって、もう一回やる。
間違えたって、何度だってやるよ。
やればいい。
そうだろう?
東京の煌めくようなネオン街。神田の古本屋街。
カラフルな古着屋とレコ屋が並ぶ下北沢。
何かが起こりそうな予感がした夜中の渋谷。
地元のゆっくりした空気。
めちゃくちゃ綺麗ではないけどずっと見ていれる海。
それなりに登り甲斐のある鈴鹿山脈から見る風景。
僕はずっと続いて欲しいと思う。
みんなにとってそういう大切な風景が続いて欲しいと思う。
本当に。強く思う。
最後に一曲紹介したい。
震災やコロナのことを歌ってるのではないと思うけど、アジカンのVOのGotchのソロより、「The Age」という曲。
世代という曲名通り、いろんな世代に対しての喚起のように聞こえる。
ゴッチの不満気味のヴァースに対し、韻シスト(大好きなんです)のラッパー、BASIが軽やかにアンサーする。
バンドのサウンドとは違い、ラッパーもフューチャーしてるし、ゴスペルっぽい音で、とてもポジティブだ。シンプルで、それで強い。
こういう歌に背中を押されて、今日もいくのだ。
もう10年。まだ10年。僕らの人生はまだ続く。
Life Goes On.
続くならちょっとでもいいようにしたい。明るい未来にしてみたい。
少なくとも僕はそう思う。
君はどう?
2021.3.11 ヤマオカヨウヘイ