【震度7】「令和6年能登半島地震」を経験して
新年元日の午後4時10分頃
富山市にて大きな地震を経験した。
震源地は能登、震度は7.6。
富山は震度5強という情報。
大きな恐怖を感じた今回の経験を
書き連ねていきます。
ほぼ殴り書きなので読みにくいと思いますが
何かひとつでも参考になる部分があれば幸いです。
何事もなく穏やかな元日
令和5年12月31日、大晦日。
翌日の元日にどこに行こうか、妻と語っていた。
元日当日。
自宅がある富山市からは少し離れた
南砺市の「越中一宮 高瀬神社」へ初詣。
その神社には、うさぎの神話が残っており
令和5年のうさぎ年を無事に過ごせたことに
感謝を伝えた。
神社には多くの人がいて、出店もたくさんある。
おみくじに一喜一憂する若者、子供の大きな声、
地震が起こるとは誰も思わない穏やかな時間。
そんな神社をあとにして、富山市へ戻る。
富山市には「ファボーレ」という大きな
ショッピングモールがあり、こちらも
たくさんの人で賑わっている。
このファボーレの近くに住む妻の祖母の家へ
新年の挨拶のため、たい焼きを3つ買った。
突然の揺れ
16:10
祖母の家で、たい焼きとお茶で和んでいたとき
それは起こった。
。。。。。グラッ、
「あ……地震?」
ゆっくりと。、、ゆらゆらと床が揺れる。
5秒ほど揺れ、そのまま治まった。
妻と祖母と
「揺れたねぇ。どこで揺れたんだろう?」
という話の後、また普通に談笑する余裕があった。
外を見ると電線がゆらゆらとたわんでいる。
その後、数分経ったとき、新年の挨拶に
祖母の子、孫、ひ孫たちが訪れた。
そのタイミングでボクと妻は帰宅しようと
入れ替わるように外へ出る。
車に乗り、祖母が「オーライオーライ」と
車庫から出やすいように交通誘導してくれている。
その瞬間....
ガタ、ガタ、ガタガタ…….
ガタガタガタガタガタガタガタ!!!!!
車に乗っていてもハッキリわかる大きな揺れ!
すぐに車から飛び出て祖母の元へ!
と同時に家の中からみんな飛び出してきた!
立っているのがやっとの揺れだったので
家の中では相当な揺れだったに違いない。
すぐにスマホで震源地、大きさ、被害を確認。
どうも能登が震源地らしい。
スマホの地震警報は鳴らなかった。
全国一地震が起きない県で起こった地震
能登では過去に何度か大きな地震が起こっている。
能登と富山は地図上では近い場所だが
いままで能登の地震で富山が大きな
被害を受けた記憶はない。
(※上記の地図で富山市は富山空港があるあたり)
なので今回も、富山は大丈夫だろう
という思いがあった。
しかし今回は富山市にもまともに被害が来た。
全国一地震が少ない富山県でも、今回のような
震度7ともなると話は違うようだ。
とりあえず移動する
16:20
話は少し戻るが、祖母の家で
みんな外に出ている状況。
家に戻るのも怖いが、外は寒い。
近隣の方が近づいてきて
「避難したほうが良いかねぇ!?」
と話しかけてくる。
「まあ、大丈夫じゃない?」と祖母。
16:50
しばらく状況を見ながら、
そのまま祖母と孫たちは一旦家の中へ。
ボクと妻は車に乗り込み帰路につく。
(※のちに連絡したところ全員無事でした)
避難場所へ行ってみるか
なにかソワソワする今回の地震。
経験したことがないほどの揺れ。
「とりあえず自宅近くの避難指定場所へ
行ってみようか」と妻と話す。
建物から逃げたであろう人たちが、何人も
外に立ち尽くしている状況を見ながら
慎重に運転する。
避難指定場所へ向かう途中にトイレに行きたくなり
コンビニに行ったが、自動ドアが開かない。
手動でも無理。
揺れを感じてセンサーが切れたのか
とにかく入れない。
仕方なくあきらめて車に戻った。
17:20
避難指定場所である支援学校に着いた。
そこにはすでに何台か車が停まっており
車中でスマホを見ている人ばかり。
しかし人が集まっている割には校内は
電気すら点いていない。
地震からすでに1時間くらい経っているのに。
ここじゃダメだと判断し、妻とともに
スマホで情報を取り続ける。
そのとき船橋村役場が受け入れている
という情報があった。
今いる避難指定場所から10分ほどに
その役場はあり、自宅もその通り道にある。
17:50
一旦帰宅。
家の中のものにダメージはなかった。
漂白していたコップがシンク内で
倒れているくらい。
貴重品、厚手の毛布、その他最低限の
物を持ち、再び車へ乗り込み舟橋村役場へ向かう。
(非常持ち出し袋を用意していなかったことに反省)
本気度の違い
18:00
船橋村役場には多くの車が来ていた。
誘導・整備をする方々。
物資を用意している役場職員。
すごい!動きが早い!これは安心だ!
役場の裏に案内され、車を駐車する。
役場に駐車できる台数は65台。
自分の車が駐車した時点で役場の駐車場は
満車になった。
役場は入れない
役場に着いて安堵した。
とりあえずの暖と食事は得られそうだ。
車内で親・兄弟・親戚などに連絡し終えたあと
荷物を持って役場の玄関へ向かった。
ひとりの男性職員が近づいてきて
「ごめんなさい、ここの受け入れがいっぱいになったので、小学校の方へ行ってもらえますか?」
小学校は役場の目の前だったので問題はなかった。
小学校へ入る
18:10
小学校の玄関に入ると、
2階の避難場所(体育館)へ上る階段が
目の前にあった。
その階段では男性スタッフ4人が
足の不自由な高齢者を
車椅子ごと持ち上げて階段を上っている。
ぼくも加わろうと急いで靴を脱ごうとしたが
車椅子を大人の男性4人で持っていたら
もう十分な状態だった。
とりあえずトイレで用を足す。
よし、水も流れる。
土足禁止のためスリッパへ履き替えなくては
ならなかったが、十分な数はない。
緊急事態なので仕方なく土足で階段を
上がる人もいた。
ぼくも土足で...()
靴下で体育館の床は足が冷たすぎる。
体育館の状況
18:15
体育館にはすでに100人弱避難していた。
受付名簿に避難者の名前、住所、来場時間を記入。
卒業式などで見たことがある方も多いと思うが
あの強力な暖房機、それを囲むように
パイプ椅子が数十脚、扇状、円状に並べてある。
そういった場所が体育館内の前後に一ヶ所ずつ
あとは壁沿いに座る人が大半。
暖房周辺の場所は高齢者と小さい子供がいる
家族に使ってもらうのが良いかなと。
ボクと妻は壁沿いに位置したが、
床はとにかく冷たい。
持ってきた厚手の毛布を床に敷いて
ふたりでそこに座った。
直に座っている人も多かったので
おしりが凍っている人もいたかもw
今考えるとパイプ椅子はたくさんあったので
壁沿いに持ってきても良かったが
何故かその時はそんな考えが出なかった。
時間だけが過ぎてゆく状況
役場関係者、スタッフもどうして良いのか
わからない感じだった。
スマホを見ている大人。
広い体育館を楽しそうに走りまわる子供たち。
不安げな高齢者。
不測の事態をかざして怒号を上げる大人が
いなかっただけ良かった。
ボクはずっとXで状況をポストし続けた。
モバイルバッテリーは持っていなかったが
幸い避難所へ向かう間、車内でスマホを
充電していたため、しばらくは大丈夫。
20:00
ペットボトルの飲み物、毛布が与えられる。
しかしどちらも十分な数はない。
ボクたちはペットボトル2本(水とコーヒー)と
毛布は1枚だけもらった。
幸い車の中にブランケットを2枚乗せていたので
それを持ってきてなんとかなった。
お腹がすいた。パンくらいでいい。
そもそも食べられるものは支給されるのか
わからない。案内も無い。
「みなさん、すみませーん!電気ポットでお湯を沸かすため、スマホの充電はお控えくださーい!電気が落ちるとここ真っ暗になって困るのでお願いしまーす!」
女性スタッフが体育館の隅々まで行きわたる
通る声で伝えた。
体育館にあるコンセントはせいぜい10コくらい。
スマホを10台充電するより電気ポットを10コ
使用した方が電気は落ちやすくない?
と思ったが、ここは指示に従おう。
幸い電気は落ちなかったが、最後まで
電気ポットのお湯は使わなかった。
念のためだったのかな?
20:40
余震も少なくなり、帰宅する人も多くなった。
「お世話になりましたありがとう😌」
帰り際、可愛らしいおじいちゃんが
スタッフの方に頭を下げていた。
和む🥰
ボクはその間もXでポストし続けた。
21:00
先が見えない状態から、体育館の電気・ガスの
供給削減のためか、全員役場への移動願いが
伝えられた。
帰る人も多くなったので役場だけでも
十分受け入れ可能な人数になった。
役場へ入る
役場は床があたたかい。
靴下で移動しても問題なかった。
役場の2階の小ホールのような場所へ案内され
アルミのマット、飲み物、乾パン、クッキー
が支給された。
良かった。お腹に入れられる。
スティックパンはむちゃくちゃ硬く
何の味もない。
クッキーは、おいしい。
とりあえず役場で落ち着いた。
床に直に座っても冷たくないって、いいね。
小ホールには30人くらい。
それぞれが与えられた1畳ほどの
アルミのマットで陣地どりに精を出していた。
壁際、窓際、ホール中心側の順で人気のようだ。
ボクたちは窓際を確保できた。
21:30
泊まるかどうか妻と話し合い、
早い段階で帰宅することに。
その間に号外が配られた。
いやほんと改めて大変なことになったなぁ...
22:10
自分たちがいた周りを整理し
役場をあとにした。
車で自宅へ向かう途中は余震や
地割れなどはなかった。
(暗くて見えなかったというのが正解)
なんとか帰宅。
その後YouTubeやテレビで情報を得つつ
就寝した。
「令和6年能登半島地震」を経験して
今回、初めて避難所での時間を体験した。
統計的に富山県は全国一地震が少ない県
となっているため、避難、防災等に関して
十分なデータが無い。
実際避難してみて感じたこととして、
モバイルバッテリーの必要性を感じた。
情報が得られないととにかく不安。
安否確認や避難解除宣言も本当に出ているのか。
それはどこからの情報なのかなど確認ができない。
コンセントも暖や食事のために
使用される場合が多く、実質スマホの
充電はできないと認識した。
避難所ではダンボールをこう畳んで
椅子やベッド代わりにすれば快適。
なんて情報もあるが、快適になんて
過ごせるわけがない。
そもそもそんな事をしていると
個々に与えられる場所は狭いので
迷惑になる。
根本的に今回のようにダンボールがない
避難所では、そんな情報や知識すら役に立たない。
理屈でわかる事と実際の避難所では
まるで条件が違うことがわかった。
この記事を書いている最中も余震があった。
気を許せるときはまだ先になりそうだが
これ以上の被害拡大は起こらないように
祈ることしかできない。