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承認欲求がこじれるのって、帰属迷子だから、なのか?

先日、Xでこの画像を見つけて、思い当たることをいろいろと思い出してしまいました。

https://x.com/females_db_park/status/1813763659753242648  よりコピーしました。

これは、差別云々というより、単純に
「仲間に入れてくれないのは、ズルなんだー!」
という、妬みから起きる承認欲求のこじれの話なのかなぁ…と思ったんですよ。

私が苦手意識を持っている帰属や承認への欲求について、自分の気持ちを整理するために、人間関係が単純だった子ども時代の思い出なども含めて、まとめてみます。
(イジメの記憶などもありますので、苦手な方はご注意ください <(_ _)>)


上に引用した図は、女性スペースに入りたがる男性を描いているのですが、
こういう構図って、今起きているこの問題に限らず、子どものころから色々あったよなぁ…と、思い出す事が沢山あって、この図を見たとたん思わず遠い目になってしまったんですよ。^ ^;

私の子ども時代の人間関係って、幼稚園児~小学校に入ったあたりまでは「近所の子たち」というくくりの中にあって、年齢・性別・境遇など、割とごちゃ混ぜになっていたんですよ。
私はそのごちゃ混ぜの中にいても、周囲について行けない、おとなしい子だったのですが、なんとなくその場にいても大丈夫な雰囲気だったんですね。
しかしその後、小学校のクラスの中でカーストが出来て来るにしたがって、私は「何やら浮いた子」になって行ったんですよ。
クラスカーストって、低学年の内は割とゆるめですが、年齢が上がるに従ってキツくなって行くんですよね。
私は小学校の中~高学年で、あからさまに弾かれるようになりました。
(もちろん、中には仲良くしてくれる子たちもいました。当時は本当にありがとうネ。^ ^)

でね。
上記の図を実感してしまった体験として思い出したのは、中学生の頃の塾での出来事なんですよ。
その塾は地元密着型で、大体同じ小学校にいた子たち・大体同じクラスになったことのある顔見知りばかり、が来る場所だったんですよ。
当時、私はアトピーが酷くて、頭・顔・首などなど、あらゆる所からぼろぼろと皮がむけ落ちていたんですよね。
まぁ、客観的に見てだいぶ汚かったです。
その塾の生徒の中に、昔からの顔見知りで、小学校低学年の頃から私のことを良く思っていない女の子がいたのですが、その子が、私が近くの席に着くとサッ!と友達を連れて別の席に移る、という行動を繰り返したんですよね。
察しの悪い私は、最初は意味がわからなかったのですが、何度もやられてやっと「避けられている」ことに気が付いたんですよ。
…嫌な気持ちにはなりましたが、実際「汚い」ので、しかたがない…でも、その後しばらくして塾自体を辞めました。
そんなに嫌がられてまで、その場にいたくないですからねぇ…。

でね。
この話の怖いところは、この行動(気に入らない子が来たらみんなを引き連れてサッ!と席を移動する、というヤツ)、私だけではなく他の子もやられていたのですが、なによりも怖いのは、私自信が「逃げるみんな」の中にいた時もあったこと、なんですよね…。
「仲間」がやっているのだから、私も当然やっていい、と思っていたんですよ。

恐ろしいですね。
仲間意識=帰属意識って、倫理観すら平気でねじ曲げる力を持っている。
まぢで恐ろしいです。


この仲間外れのバリエーションとして、中学生の時の移動教室の班分けで、少し違うバージョンを体験したこともありました。
この時弾かれていたのは、私ではなく別の子です。仮にAちゃんとします。
Aちゃんは、今考えると軽度の知的障害か何かの問題がある子だったように思えます。
テンポの遅い私以上に、勉強もスポーツも何もできない、友達と遊ぶこともできない、という感じの子でした。

そのクラスで、私は地味でおとなしい子のグループ(要するに下層カースト=これはこれで仲良かったし良い友達でしたヨ)にいました。
行事などの班分けをする時には、大体いつものグループで班が分かれるのですが、Aちゃんはいつもどのグループにも入れず、最終的に人数の少ない所へ先生が割り当てる、という感じでした。
で、その移動教室の時もそうなってしまい、先生の勧めで人数の少ない私のいるおとなしい子のグループに入らないか?という話になったんですよ。
私のグループメンバーは皆「いいよ」と言ったのですが、当の彼女は「嫌だ。カースト最上位のグループに入れて欲しい。」と断ったんですよね。
イヤ、こんなあからさまな言い方ではなかったけれど、意味としてはそういうこと、でした。
カースト最上位(スポーツ万能で華やかな子たち)のグループは、その時人数制限いっぱいで、Aちゃんを入れることができなかった。
話し合いはいつまでも平行線のままになってしまい、最終的には先生の提案で、全部のグループを半分づつに分けて、人を混ぜてグループを作り直してAちゃんが入れるようにする、という事になったんですよ。

たぶん、この時のAちゃんの気持ちとしては、
「私はいつも味噌っかす扱いだ。地味な子たちに押し付けられるのももう嫌だ。華やかでキラキラした体験がしたい。自分にもキラキラ能力があると認めて欲しい!
ということだったんじゃないか、と想像します。

華やかでキラキラした行動を取ることが出来ないAちゃんが、それでも華やかでキラキラをやりたかった理由は、やっぱ、リア充以外はカス!的な価値観があったからじゃないか、と思うんですよ。
だけれども、私のような変わったヤツや、Aちゃんのような何の反応も返せない子を、カースト上位に混ぜたところで「華やかにキラキラ」には成れないんですよねぇ…。
私やAちゃんのような子にとって、「みんな」と一緒に華やかなキラキラを目指せ!という世間的に良いとされる目標は、誤った指示、間違った目標でしかないんですよね。


華やかなキラキラが妬みの対象になるのは、傍から見て楽しそうだし目立つから、というのもあるけれど、それ以上に
ああ成らなくてはダメなんだ!
という「世間的な煽り」があるからなんだと思うんですよ。
「煽り」があるから、無理をしてでもそこにしがみつかなければならない!という思い込みになってしまう。
キラキラ能力の有る者だけに、人間としての価値が有るんだ!
という、大袈裟に言うと優性思想につながるような価値観すら出てきてしまう。
結果、キラキラに所属できない自分への自己卑下とキラキラへの妬みが増殖してしまう…。

この「煽り」に乗ることって、単純に「多様性の否定」だし「差別を煽る行為」だと感じるんですよ。
みんなで一緒に! 同じ場所に帰属しよう!
という感覚って、みんなで一緒が出来ない人にとっては、苦痛でしかないんですよね。


人間の集団って、それぞれ「なんで集団になっているのか?」の理由が違うんですよね。
子どもの集団は、遊びの質の違いで群れが分かれているし、
会社という集団は、お金を稼ぐ方法や能力で群れが分かれるし、
ご近所さんの井戸端集団は、生活レベルで群れが分かれていたり…。
女性スペースは、男性的な荒々しさからの避難先、という意味がありますし。
単純な「仲良しグループ」という訳じゃないんですよ。

「その集団が成り立っている理由」に合わせられない人は、その集団には帰属できないんですよね。


じゃあ、帰属できない人を弾き出すのは「差別」じゃないのか?

これ、ねぇ…。
「集団が成立している理由」によって変わってくる、のだと思います。
例えば、好むと好まざるとにかかわらず誰もが所属しなければ生活できないような集団(行政区域とか、そのサービスとか)から追い出すのは明らかな「差別」ですよねぇ。
だけれども、会社で規定の仕事ができない人を左遷するのは差別じゃ無いです。
ましてや、仲良しグループが遊びに行く時、「この人がいるとシラケるからなぁ」という人を誘わないのは、仕方のないことです。

仲間に入れてもらえないのは、どんな場合でも「可哀そう」ですよ。
だけれども「可哀そう」だから「差別だ」とはならないんですよねぇ。

問題は仲間=帰属先の選び方、なんだと思うんですよ。
どんなに望んだところで、帰属できない場所は有りますよね。
それは、その望み=欲望が、変な方向に行ってしまってるんだと思います。
単純に、世間の価値基準に煽られているんだと思いますよ。
帰属できない場所に、いくら帰属を承認して欲しい、と望んだところで、それは無理なことなんですよねぇ…。

それに、「帰属先」と「自分自身」は全くの別のモノなんですよね。
ここをごっちゃにすることで、承認欲求オバケになってしまったり、集団心理に流されてしまったり、と怖いことになるんですよねぇ…。


自分の望みだと思っているモノは、結構他人の欲望だったりするんですよ。

ラカンもそう言っとりましたヨ。




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