就活カレッジ振り返り(8/22,23,29,30)
8月後半の土日、2週にわたって全4回、オンライン就活が運営している就活カレッジとやらに参加した。
なんとなく始めた就活。なんとなくやった自己分析。なんとなく書いたエントリーシート。なんとなく受けた面接。
自分なりに集めた情報で、自分流に仕上げたようなモノモノでは手応えなんぞあるはずもなく、インターンシップにエントリーしては落ち、準備の時間はただの時間の浪費だったような気がし始めていた。映画でも観て、本でも読んで過ごす方がよっぽどいい時間の使い方だったんじゃないかと。。。
そんな時にたまたま目にした今回の就活カレッジの情報に導かれ、何かいい情報がないかなぁという軽い気持ちで参加した。すると期待していた以上に、それはそれはもういろんな情報が行き交っていた。
そして、その情報は、今まで自分の主観でネットから取捨選択していた情報とは違い、もっと生きた情報だった。情報自体はもしかしたら同じようなことがネットに転がっているかもしれない。
でも、自分で信頼してみようと思えた人たちからの情報であり、自分で考える場があり、他人の考えたことを聞く場があり、それを話し合う場があるということでその情報の価値も全く違ったものになった。
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たった四日間の出来事で、何か変わったかと言われれば変わったような、
変わっていないような?
何かが劇的に変わってすっきりというよりは、
悩み方が変わって、さらに悩めるようになったような?
悩みの角度が変わってより深めていく道が開けたような、
そんな感じです。
いろんな人の話を聞いて、いろんな人からのフィードバックをもらい、自分で自分を考える。その度に新しい何かしらの気づきや考えを持つことができた。自問自答して自分を考えるだけが自己分析ではない。案外自分を知る機会って日常に潜んでいて突然だったりするよねと実感した。
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そういえば、1日目のレクチャーではそんなことを学んだ。そこでは自己分析ではなく『自己探求』だと。分析するというよりは、自分だけの軸を探し続けること。そして、「自分が選んでいる」という感覚が大切だと言っていた。
自己分析ってなんぞや。とモヤモヤとしていた私にはこの言葉はしっくりときた。自分の過去ばかりを覗き続けるものじゃないし、そんな簡単に分かるものではないぞと認識させてくれた。
自己探求という言葉の良さは、外に目を向ける意識を生むことだと思う。この言葉によって、常に「自分ってどういう人だろう」とアンテナを張り続けるイメージを持つことができる。そうすると意外となんてことない会話だったり情報から、ハッと気付かされたりする。そうやって得た情報をもとに、アンテナも更新していく。
そうやって広げた意識に引っかかった事柄を「自分で選択」して「自分で考える」ということを積み重ねて、『自分』は徐々にわかっていくものなんだろう。
反対に、「自己分析」という言葉には、内向きな、そして完結するかのようなニュアンスがあり、それがこの言葉の持つ危うさではないかと感じた。
自分を深堀し、自分を知るために、
自己を自ら振り返るだけの情報の量と質だけで十分だろうか。
そもそも、
こんな途方もないような問いに対する答えが、
就活のタイミングに都合よく、
私たちの望むように完璧に探し終わるようなものなんだろうか。
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そんなこんなで、ふと、
自分って、社会との関わりの中で現れるもので、
「自己探求」ってずっとしていくことだよな。
と考えると、多様な環境で過ごしたり多様な人と話したり、日常的に多くの情報を得て自分なりに考える機会の重要性を肌で感じることができた。
まぁ、何より久しぶりにこんなにたくさんの人とたくさん喋りました。人との繋がりを感じました。もはや、就活関係なくそれだけでも価値がありました。
みなさん、四日間お世話になりました。
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今回参加したのは、
オンライン就活(https://onlineshukatsu.com/about)の
就活カレッジ(https://onlineshukatsu.com/shukatsucollege)です。
それぞれにそれぞれの得るものがあるはず。でもないかもしれない。
もしなければつぎ。そのまたつぎ。
あってもつぎ。そのまたつぎ。
先は長そうです。どうやら終わりは無さそうです。
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