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バスケと最初の恩師。''だたら''の気持ち。
人生を変化させるキッカケを作り続けるバスケットボール。その出会いとを思い出しながら書いて原点に帰ってみようと思う。
出会いは小3、幼馴染から誘われて、家からちょっと離れた別地域のミニバスに入った。小学校の上履きで体育館に行って見学しようって話してたらミニバスの監督が、
''とりあえずやってみろよ''って言ったので練習に混ざってみた。10年以上前のことだから記憶は断片的で、シュートを決めたわけじゃなかったが、すごく楽しかったらしい笑
それをキッカケにそのミニバスに入団して3年間そこでプレーをした。
そのチームはとにかくめちゃくちゃ強かった。
小4になる頃から県ベスト4は当たり前、小5.6の頃は練習試合含めて県内ほぼ無敗(勝率9割越え)。
そんなチームだからこそ、練習、練習試合、遠征がとにかく多い。かなり試合したし練習した。
練習が具体的なものは割と少なかった。(笑)だけどみんなバスケが大好きでとにかく一生懸命だった。それでめちゃくちゃ強くなっていった。後の世代別日本代表が生まれ、他競技で日本1を取ってオリンピックを目指す人間も出てきた。
この文化を作った監督、それについて行っていた自分らは本当にすごいなって今でも思う。
多分あのチームメイトで、あの監督であそこでバスケを始めてなかったら間違いなく今でもバスケをやっていなかったんじゃないかな。
今でも仲の良い、家族みたいな仲間ができてスポーツの楽しさと勝利の味、努力の大事さ教えてくれたあの3年間は間違いなく人生の宝物だ。
※ミニバスのメンバー(3学年混ざってるけど先輩後輩感は0笑)
監督はめちゃ怖くて、やらかすと蹴りは飛んでくるわ怒鳴られるはで凄かった(笑)でも何故か暖かくて、俺らのことを本当に思ってくれてるのが伝わってきた。
そんでうまくいったら家族巻き込んでめちゃくちゃに褒めてくれた。当時のガキンチョの俺はそれで本当に嬉しかったんだよなぁ。
小学生の時は個人的に結果が出なかったけど、「高校より先で花咲くから我慢して頑張れ!」と言ってくれた。
ミニバス卒団後も中学の試合を見に来てくれたり、高校の試合にも応援に来てくれた。自分の使われ方が納得してないと高校の先生にも直接文句言ってたっけ笑
そんな監督は2年前に亡くなってしまってもう会えない。
一緒にお酒飲んで思い出話をしたかったな。は今でもずっと思ってること。
そんな監督の代名詞的な言葉が今回のタイトルにある''だたら''っていう言葉で、甲州弁で「やたら」の最上級表現を表す。
だたらやってこーし!!
なんて言われ方をしていた。とにかくやってこい、一生懸命やってこいって言うニュアンスで理解してくれればと大丈夫。(笑)
最近22になって、練習場所を選んだり、内容、質に拘ったり、考えてプレーすることは増えてきたけど、
この''だたら''というマインドを少し忘れてしまってる気がする。小学生の頃の自分もとにかく練習してたし、めちゃやってた。けどそこの気持ちはもっと純粋だった。
バスケが大好きって言う気持ちがもっと強かった。今がバスケを好きじゃないって事ではないけど。(笑)
大人になっていくにつれてただやるだけではダメになっているけど、考えるのは当たり前でその土台である''だたら''は絶対に必要だなって言う再認識をした。
今は多分俺が練習しているところに来て、何か叫んでるんだろうなって思ってる。あの人バスケ心の底から好きだし教え子大好きだから。(笑)
高校で結果残せなかった悔しさもあるから3x3のプロでプレーしてる姿を絶対に見せる。
それであの人に恩返しをしよう。
また今日、この瞬間から頑張ろう。
以上。