「人生が良くなっている」と思いたい症候群。
年末から年始にかけて、人はドラマチックな思考に陥ってしまうと思う。
一年の終わりとはじまり。
その年一年間の出来事や言動に思いを馳せたり、未来の自分や周りの環境に考えを巡らせたり。
ひいてはここ数年のことまでほじくり起こして、「あの時よりは良くなったよな」なんて今の自分をねぎらったりしている。
自分を納得させられる「あの時の答えのようなもの」を、記憶の砂のなかから掬い上げようとしたりもする。
下手をすると、自分で記憶の砂をほうぼうからかき集めて水で湿らせ「答えはきっとこれだった」なんて勝手に砂のお家を作ったりもする。自分好みの、いい感じのお家だ。
そう、私は、「確かに良くなっている」という答えを出したい症候群なのだ。
時間は常に流れているので、過去や今の一点が良いのか悪いのかなんて、その時点での瞬間的な結果にすぎない。とても刹那的なものだ。
それをよくあらわした逸話がある。
とある国で「ある男の息子が落馬してケガを負い、歩けなくなった。」それはたいそう悪いことだ。しかし、少し経つと戦争がはじまり徴兵令が出される。「ケガをしていた息子はおかげで兵役をまぬがれた。」良かった。
この「良かった」と「悪かった」が延々と繰り返されながら進むお話だ。
こんなふうに、一見悪いことでも後々良かったと思える事に繋がる可能性はいくらでもあるし、すでに繋がっているけど気づいていない場合も多々あると思う。もちろん逆も然り。「結婚からの離婚」なんてその最たるものかもしれない。結婚はみんなみんな、はじめは良いと思ってしたことなんだ。
でも本当は、それが良いか悪いかなんて、はじめから決められるものではない。
だけど私は今年も、「良くなっている」と決めつけて進む。
なんにもない私にとって、「良くなっていると思う事」が唯一であり最大の推進力だからだ。
勘違いでもいい。間違っていてもいい。背負えるものだけを背負って、今年も進んでいく。