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「耳手紙」を受け取らせてくれ。

「こ、こんなおもろバナシが…無料で…??」

これは私が常々ポッドキャストの番組に抱いてる感想(感動)だ。
心からの率直な感想が、どこか荒っぽいweb広告風の文言というのはいささか物悲しいところではあるが。

ポッドキャスト、というものを聴き始めて4年ほどになる。
10年以上前、学生の頃に使っていたipodの中に「podcast」というカテゴリがあったのは知っていたが、実際に利用するようになったのはわりかし最近のことだ。長らく使い方も、一体何がある場所なのかさえもわからなかった。

4年前、本当に暇だったのかなんなのか、目的もなくスマホを弄っていた時ふと目についた「podcast」のアイコンを何気なくタップした。紫と白色のアイコン。その日から私の生活が変わった。

アイコンをタップした先には更にカラフルな番組アイコンがたくさん並んでいて、色んな人がラジオ番組を持っているようだった。私は目についたアートワークを何気なく選択し、聴いた。男性2人が関西弁で身の回りの出来事を話している番組。唐突に挟み込まれるおもろワードに思わず吹き出してひとり笑ってしまっていた。久々に声を出して笑った気がした。

ちょうどその頃、私は家庭の事情で自宅にて介護をしながら簡単な仕事のようなことをして暮らしていた。生活は大変だったが、音だけはいつでも自由に聴いていい環境だった。私はイヤホンをして、片っ端からポッドキャストを聴いた。

丸一日家にいると、話をする機会が極端に減る。それに伴って笑う回数ももちろん減ってしまう。それにようやく気づいたのは、ポッドキャストの番組で自分が笑うようになってからだった。笑うようになって初めて、自分が笑っていなかったことに気がついた。

それから現在まで、ポッドキャストを聴かない日はない。
のんびりしたい時、笑いたい時、集中したい時、新しい考えを得たい時、眠れない時、どうしようもないひどい気持ちの時。ポッドキャストは、どんな状態の自分であっても受け入れてくれる。

誰かの声、誰かの話をいつでも聴くことができるというのは、私にとってとても救われることだった。
スマホと耳さえあれば、それが叶う。(無論、番組があってこそだけれど)

ーーひとつ不思議なことに、テレビよりもラジオよりも、ポッドキャストの配信者の存在はなぜだかとても身近に感じる。これは他の多くのリスナーも思うことだろう。はじめは「素人さんという認識があらかじめ有るからかな」と思っていたのだが、芸能人の番組を聴いていてもなお、どこか自分に近い存在に思えてきて不思議だ。

もうひとつ不思議なのが、彼ら配信者の表す愚痴や怒り、悲しみなど、おそらく実生活やテレビなど映像で出会ってしまった時にはつらい気持ちになるだろう負の感情や発言を、むしろ音声では好ましく感じてしまうということだ。
私の場合は特に、他人の怒りなどはかなり苦手な部類の感情のはずなのだが、ポッドキャストではそれを不思議と受け入れられ、ことのほかその配信者の感情の揺れを楽しく聴いてしまう。
「本当にいやになったら自分で止めればいい」そういった安全地帯にいるような余裕からなのだろうか。理由はわからないが、聴き始めてから不思議に思っていることのひとつだ。

ポッドキャストでは、それぞれの番組の配信者によって「リスナーを楽しませる」ことに注力したさまざまなコーナーやイベントが行われている。
そこまででなくとも、おそらくどの配信者も少なからずは「楽しんでほしい」という思いがあるだろう。自分がその立場ならそう感じる。
しかし、いちリスナーの立場からいうと、意外に「楽しい」は求めていない。

もちろん大笑いしたい気分の時はある。
ただ。なんでもない日常の、なんでもない話。過去の話。今感じている事。
そんなオチも抑揚もたわいも無い話を、どこかつらつらと聴いていたい時はとても多い。

だからもしも今、「ポッドキャストの配信を始めてみたいけど…」と悩んで二の足を踏んでいる人がいたら、ぜひ気軽に行動に移してみてほしい。
楽しい話、ためになる話だけではなくて、あなたのなんでもない日常の話を聴きたがっている人間がここにいる。始めてくれたら、必ず探し出すからねぇぇ…!(←こわい)

おそろしい冗談はさておき。(走って逃げた人は戻ってきてほしい)

私はあなたの声を聴いてみたいです。どんな声で、何を感じ、どう過ごしているのか、「耳手紙」を受け取りたい。気が向いたらぜひ、投函(投稿)してみてください。整っていなくても気にしないから。

便りが届くのを、耳を広げて楽しみに待っています。

#わたしとポッドキャスト

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