のこされた写真を見返すときの悲しみを少し克服できた話
私は写真を撮るのが趣味です。
思い起こせば小学生のころから、自分のフィルムカメラをもらって、いろんなものを撮ってきました。
それは大人になってからも続き、カバンの中には常に何かしらのカメラが入っている、そんな状態でこれまで生きてきました。
そういったことから私は自然と色んなシーンの撮影係となり、これまで喜んで様々な撮影をしてきました。写真の出来上がりは勿論、撮ること自体が好きなんです。撮影は狩りやスポーツに似ている感じがします。光の角度や人の動きなど、自分だけの視点で瞬間を捕まえてズバッと切り抜く。撮影の瞬間はいつもワクワクしていました。
そんな自分が、年を重ねてからというもの、自分の撮影した写真を見返すことが空しくて悲しくて仕方がなくなっていた時期がありました。
一番ひどかったのは2、3年前でしょうか。大変な介護の末に親がなくなったり、大切なペットが旅立ったり。色々な喪失が重なった時期です。
そして喪失という視点で言えば、私の人生そのものが、徐々にいろんなものを失っていく形で進んでいると、長らくそのように感じてきました。
健康、仕事、友人。もう手の届かない人や物たち。
失ったものが、写真の中に本当に沢山あります。
元気だったペット、若い笑顔の親、楽しげに友人と旅をする自分、何度もかよった今は無き店、もう入ることのできない部屋、もう通ることのない大好きだった道。
そういったものが、私が撮った写真の中にはきらきらとまぶしく残っている。本当に眩しいです。
それが眩しければ眩しいほど、自分が失ったものの大きさを痛感するのです。
『私が失ったもの博物館』
それが自分の写真フォルダだと、長らく感じてきました。もっと悪く言えば「墓場」です。正直それが実際の感覚でした。
そうして、大好きだった写真を撮ることさえも、そういった「悲しい遺物」を量産することになるだけだと思って、一時期手が止まってしまったのでした。
本来ならば写真を見返さなければよいのですが、私の場合は仕事で過去の自分の撮影写真を使うことがあり、都度「さかのぼって探し出す」という作業が必要でした。それもよくなかったです。
見るのがつらくて、物理的に実際目を細めて写真を探していた時期もありました。
そんな私でしたが、少し気持ちが変わりました。
祖母がわが家に泊まりに来ていた日のことです。
祖母と母と、丸3日ほど過ごしました。
たこ焼きパーティーなどをして、折角なので写真を撮って、ということで私はカメラを出して、熱々のたこ焼きを難しそうに食べる祖母や、それをみて笑っている母を撮影しました。
最近のカメラはとても便利になり、撮ったその場でスマホに写真を転送でき、共有できます。
その写真を見たときの、祖母の嬉しそうな顔ったら。
家族が私の撮った写真をみて、あーだこーだいって、「良い写真だ」とみんな楽しそうに笑っていました。そして祖母はじっと私の顔をみて、「ありがとう~」と笑って言ってくれました。
その光景を見たときに、私は助けてもらったような気持ちになりました。
自分の生み出す「悲しい遺物」を、こんなに楽しそうにそうかそうかと笑ってみてもらえるなんて。
素直に、とっても嬉しかったのです。
おそらく、今後も、のこされた写真の「物悲しさ」って、どうしても消せはしないと思います。
写真ってやっぱり存在として基本的にどこか悲しいものです。どうやっても中の世界には手が届かないのですから。
だけど、その存在を喜んでくれた祖母のような人もいる。
恐らくこれまでだっていたはずです。
そして写真のなかの人も物も、その瞬間をそれぞれに生きていただけ。
そこに私もいただけ。
当たり前だけど、悪いものではないのですよね。
きっと、写真はこれからも悲しい。
でも、自分の悲しみの感情だけで終わらせないようにしたい。そう思いました。
とりとめもない話でしたが、自分にとっては大切な有難い時間でした。
読んでくださった方がいたら、ありがとう。