誰のためのものでもない言葉を。
10年以上、ほぼ毎日、誰かのために何らかの言葉を発信してきた。それは仕事であったり、個人的なルーティーンとしてであったり、さまざまだった。
自分の頭や体の奥の、「言葉の元」のような場所からその日に合う言葉を取り出してきて、できるだけ慎重に、かつ客観的に、なるべく穏やかに、こねくり回して、なんとか体裁を整え発信してきた。
「思わぬ誰かを傷つけたり、変な誤解を与えたりするものであってはいけない」
「小さくても気づきや学びがないといけない」
「優しさや配慮が伝わらないといけない」
言葉はカミソリみたいな両翼を持つ紙飛行機のようなもので、投げた本人もそれがどこへ飛んで誰を傷つけ悲しませるかわからない。またいつその事で責められ、自分まで傷つくことになるか全く分からない。
慎重だった。なので、はっきり言うと疲れた。
ネット上ですら、何度かやり取りをする人ができたり、ましてや多少でもリアルと繋がっているとなると途端に言いたいことが言えなくなる。私はかなり重度の忖度者。いつのまにかガチソンタカーに成り果ててしまった。慎重に言葉を組み立ててきたつもりだったが、本当に組み立てていたのは自前の檻だったらしい。綺麗に入ってしまっている。
言いたいと思ったことを素直に表せる場所。今の自分に正直に。誰のためにでもなく自分のために。そんな場所が必要だと痛切に感じた。
そう感じはじめてから一年は経ったと思う。やっぱり必要そうだ。だからこれから思う存分、ここで好き勝手やろうと思う。 誤字を見返したりとかもしないんだかんね!