空間の共有 2020年11月23日
フランスのコロナ感染者数、減ってる、減ってる。いよいよ半径1キロから外に出られる日も近づいてきた!
ティエリーは仕事でほぼアパートに缶詰状態だから、このロックダウンも悪くはなかっただろう。
前回、ティエリーに怒鳴り散らしてからは、すっかりケンカが減り、静かに過ごせている。ようやくティエリーも自分の馬鹿さ加減が理解できたのかもしれない(毒舌)。
ケンカになったら日本人は黙ったり無視したりすることが多々あり、日本人以外はそうでもない、という説を最近ネット上で目にした。確かに私もだんまりと無視は結構やった。
なぜそうなるかというと、まず第一に、同じ穴の狢になりたくない!という、かなり崖っぷちの願い。何か言おうとすると、かなりの確率で、相手の低レベルに合わせた、最低レベルの言葉を言い返すことになりそうなので、そんな狢にだけはなるまいという、必死の抵抗。
そして、そんな意味のない言い争いで体力も時間も消耗したくないという、節約指向。
しかしそんな気持ちで黙っていると、こちらの上から目線に相手もなんとなく気が付いて、「偉そうにしやがって」と火に油を注ぐことになる。
こうして険悪な状況がどこまでも引き延ばされてしまうのだが、それではこの先やっていけない。
というわけで、こっちも相当頭にきているにも関わらず、可能な限り冷静にどんなに相手が馬鹿なのか、懇切丁寧に説明する。このとき、人情に訴えたり浪花節的に説得しようとすると、空振りする。
こうしたことを前回、試したわけだが、結構よい効果があり、割と穏やかな日々が過ごせている。いつまで保つかはわからないが。
いずれにしても、結婚して他人と同居することになる場合、事前に百パーセント大丈夫な相手なのか確認するのは難しい。どうしても、きれいに取り繕ってあった部分がボロボロと剥がれ落ちていくことになる。だがたとえそうなったとしても、共有する空間を、自分が気持ちよく暮らせる場所にできるなら、どのような形の共有であろうと、同じ音楽が好きにならなくても、同じお笑いで笑えなくても、別にどうってことないのだろう。