私の人生の目標って 1
たった24年間の人生だけど
自分自身がどうありたいか、自分の人生って何だろう、
とことあるごとに模索してきた。
進学、就活、病気、転職、移住。
人生の岐路は想像していたことも、していなかったことも、ある日訪れてくるのだ。
人生の岐路に立つたびに自分の人生の目標ってなんだろう、と考えている。そんな模索してきた24年間をこの記事に詰め込んでいこうと思う。
長くなりそうなので記事を分けることにする。
今回は女子高生時代の私。
次は就活~病気、1回目の転職。
最後は移住と2回目の転職。
女子高生だった頃の私。
女子高生だって女子高生なりの世界がありその世界がすべてだった。
その当時は広いと思っていた世界は進学を機に、就職を機に
とても狭い世界だったなと今は思う。大人になったのだろうか。
高校生活の中での一大イベント、進路希望調査は
例外なく私の元へもやってきた。
私の学校は進学校というわけではないけれど
皆がほぼ全員が大学に進学するような高校だった。
私立の女子校ということもあり指定校推薦もたくさんあった。
だから、進路希望調査では何のためらいもなく何も悩まず”大学進学”を選択した。そして成績表の平常点が悪かった(理系科目がまるでダメ、提出物もちゃんと出せない、遅刻魔)ために推薦は狙わず私大の文系にを選んだ。
ここまでは特に何も考えていなかったが
志望校や志望学部を決める際に立ち止まっていろいろ考えた。
大学生活で何を優先したいのか。
この時の私は3つほどの選択肢があったような気がする。
1つ目は地域活性化、観光に関することを勉強したい。
2つ目は勉強したいことを勉強しつつ、教員免許取れればいいなぁ。(これはなんとなく就活の時の選択肢の幅を広げようかなくらいでそんなに優先度は高くなかった。)
3つ目はずっと続けてきた音楽を極めるかどうか。
1つ目と3つ目で悩んだ。
その先の将来を見据えて悩んだ。
結局1つ目を選んだ。
大学を出た後に就きたい仕事はこの時からあって、そっちを選択しやすいようにした。
それに好きな音楽を極めるほど実力も才能もないし、
極めたところで私の人生の目標が達成できるとも思っていなかった。
地域活性化を学びたかった理由は祖父母の家が東日本大震災で被災し、その後も原発の風評被害と町が闘い続けていたのを間近で見ていたから。
観光を学びたかったのは単に旅行が好きだったから。
高校生で初めて1人で旅行に行った時の感動はいまだに忘れられない。
特に国内旅行が好きで日本って素敵なところたくさんあるじゃん!もっといろいろな地域を知りたいし知ってほしい!なんて思ってたし、そんな仕事に就きたいと思っていた。
結果1つ目の選択肢を選んだ。
ここまで書いてきて気づいたかもしれないが、
女子高生だった頃の私は就きたい仕事に就いてバリバリ働くことを人生の目標にしていた。
だから大学生活をどんなふうに送りたいか、なんて1つも考えていなかった。
受験はいろいろと苦労はしたものの、母校となった大学に進学したのはとても良かった。充実した4年間だったしその後の人生にも大きな影響を与えくれた。
”人生の目標について”をテーマに書いているため
高校生活についてはほとんど触れていなかったが、
高校時代には10年来の親友(中高一貫校のため中学から)ができたり
部活動を頑張ったりして人とのびのびと成長できた期間なので
別途でまた書きたい。