【第4章】 挑戦 〜前編〜
第1章『 夢現神社 〜前編〜 』
前話 『 トラウマ 〜後編〜 』
翌週の月曜日、私は物流倉庫へ行かなかった。
向かった先は、本社。
私が十年間勤めていたお店も含め、数店舗の直営店を取り仕切っていた地域マネージャーへ、三日間かけて作成したエディブルフラワーの販売企画提案書を見せて、企画会議に掛けてもらうためだ。
地域マネージャーは私より二つ上の代にあたる男性の先輩で、とても穏やかな人だったので、私の話をちゃんと聞いてくれるに違いない。
一昨日、地域マネージャーへ電話を掛けアポイントメントを取った時も、「元気でやってるの?」とやさしい言葉をかけてくれていた。
それでもやっぱり、本社に来ると不安になって落ち着かない。
私は、パーテーションで区切られた、せまい打合せ用のブース内で、パイプ椅子に座りながら、地域マネージャーが来るまで、エディブルフラワーの企画書を何度も見直していた。
「やあ、待たせちゃったね。ごめん、ごめん……」
地域マネージャーが笑顔で謝りながら、打合せブースに現われた。
「あ、こちらこそ、お忙しいのに時間を作ってもらって申し訳ありませんでした」
私が立ち上がり頭を下げると、地域マネージャーは「いいの、いいの」と言って、パイプ椅子に腰掛けた。
「それでどうなの、物流倉庫のほうは?」
「そうですね……今まで生きてきた中で一番の厳しさかもしれません……」
私の答えに、地域マネージャーが苦笑で返す。
「あ、でも十日間、持ちましたよ、私」
「それはすごいなあ。でも、あんまり無理するなよ」
無理しなきゃリストラされちゃうじゃないですか、と危うく言い返しそうになった言葉をグッと呑みこんだ。
「で、俺になんか大事な話があるんだって?」
「あ、はい。実はこの企画書を見てもらおうと思いまして……」
エディブルフラワーの企画書を、地域マネージャーへ怖ず怖ずと手渡す。
「へえ~~、おまえが俺に企画書を出すなんて初めてだよな? 物流倉庫でなんかいいネタでも見つけたのか? ん? 食べられる花? エディブルフラワー? 聞いた事ないなあ……」
地域マネージャーが、私の企画書を真剣に見始める。
紙をめくる音だけが聞こえる沈黙と独特の緊張感に押し潰されそうになり、この場から逃げ出したくなる。
「なるほどね~」
地域マネージャーが視線を企画書から私へ向けて、
「なかなか面白いんじゃないの、このエディブルフラワーってやつ」
「ありがとうございます!」
地域マネージャーの好印象な感想に嬉しくなって、
「まだそんなにエディブルフラワーは知られていませんけど、料理にお花を載せるだけで見た目が華やかになって心が楽しくなれるうえに、料理と一緒に食べられるのでビタミンやミネラルが吸収できるんです! きっと、『ナチュラルン』で買い物をしているお客さんたちにも受け入れられると思うんです!」
熱い想いを一気にぶつけた。
「たしかに、こんなに彩りのある花を食べることができるなんてインパクトもあるしな。なかなか面白い物を発見しちゃったんじゃないの?」
地域マネージャーが、エディブルフラワーの本をパラパラと見ながら褒めてくれた。
すごい!
私の企画が、地域マネージャーに認められてる!
うまくいったら、本社の企画会議に掛けてもらえるかもしれない!
そしたら、物流倉庫からの脱出も夢じゃない!!
「あの、それで……このエディブルフラワーの販売企画、マネージャーから本社の企画会議に掛けてもらえませんか?」
地域マネージャーへお願いした、その時だった。
「おう、なんだおまえ、久しぶりだな。辞表でも持ってきたのかあ?」
聴き覚えのある不快な声が、耳に飛び込んできた。
八年前、私のアロマテラピー企画を罵倒した、あの統括部長がニヤニヤしながら立っていた。
「部長、辞表だなんて冗談きついですよ」
地域マネージャーが愛想笑いをしながら、
「ゆかりさんは、面白い企画を持ってきてくれたんです。ほら見てみてくださいよ」
エディブルフラワーの企画書を、統括部長へ手渡す。
ウワア~~最悪だあ……。
全部、台無しになっちゃうよお~~。
能無しの烙印を押された八年前の忌わしい過去に萎縮してしまう。
「はあ? エビフライだあ? 花食ってどうすんだよ、おまえ?」
統括部長が私のことを睨みつけ、
「ウチの会社は、無農薬野菜とか自然派食品でここまで大きくなってんだぞ! なんで花屋の真似事しなきゃならねえんだよ? そういえば、ずっと前にもトンチンカンな企画書出してきたことあったよなあ? おまえ、入社して何年たった?」
「……十年です」
「おまえさあ、十年もこの会社にいて、こんな馬鹿げたエビフライの企画しか考えれねえから、物流倉庫に飛ばされるんだよ!」
統括部長がエディブルフラワーの企画書をテーブルの上へ放り捨て、
「くだらない企画書作ってる暇があったら、さっさと倉庫に戻って、野菜でも数えてろ!」
「部長、それはちょっと言い過ぎじゃ……」
「おまえもダメな奴はダメだってはっきり言わねえから、下が育たねえんだ! もっとしっかりしねえと、おまえも倉庫行きだぞ!」
統括部長の理不尽な叱責に、地域マネージャーもうつむいてしまう。
「あの、私が無理言って、マネージャーにお時間いただいたんです! 本当にすいませんでした!」
テーブルに投げ捨てられた企画書と本を急いでバッグの中に詰め込み、打合せブースから逃げるように駆け出した。
「ああ、そうだ! 今度来る時は、本物のエビフライを持ってこいよ!!」
統括部長の馬鹿にした笑い声が、背後から浴びせられる。
すごく、すごく、悔しくて、唇を強く噛み締めた。
私が馬鹿にされたことよりも、大好きなエディブルフラワーをエビフライ呼ばわりされ、コケにされたことのほうが何倍も頭にきていた。
女子トイレの個室へ駆け込み、ドアロックを閉めると同時に、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「あともうちょっとだったのに……」
あそこで統括部長が通りかからなかったら、エディブルフラワーに好印象を抱いてくれた地域マネージャーが本社の企画会議に提出してくれたかもしれないのに……。
このままだと、八年前と同じように、エディブルフラワーの企画も統括部長に潰され、物流倉庫で野垂れ死んでしまう……。
「そんなの絶対に嫌だ!」
あふれ出る涙を、手で乱暴に拭い、
「泣いてたってしょうがないじゃない……」
心を落ち着かせるために、バッグの中から企画書を取り出し、見直し始めた。
読み進めていくうちに、エディブルフラワーの企画書を作成していたワクワク感がよみがえってくる。
「あ、そうだ……」
『夢現神社』の神主さんからもらった『木札のお守り』をバッグの中から急いで取り出し、
「お願い! バッグの中にいたんだから知ってると思うけど、あなたがアドバイスしてくれた通りに、自分の第六感を信じてエディブルフラワーの企画書を作って見せたのに、最悪な結果になっちゃいました。これから私はどうしたらいいの? なにをやったらいいの? 教えてください!!」
両手に握りしめた木札へ向かって、真剣にお願いした。
けれども、木札からは答えようとする気配がない。
ちなみに、スマホのAIも無言のまま。
「ちょっとちょっと、こんな切羽詰まった状況でダンマリは卑怯じゃないの? 答えてくれるまで何度でも訊くわよ!」
なかば八つ当たり気味に、木札の表面を人指し指でコツコツコツコツと強めに突つきながら、
「私の魂を込めた、この企画書を実現させるにはどうしたらいいんですか?」
顔面(?)を突つかれたことで触発されたのか、木札の木面がグルグルと渦巻き出し、いつものゆらゆら3D文字が宙に浮かび上がった。
『他人の否定は雑音! 全無視!!』
木札の少し切れ気味なアドバイスに思わず吹き出してしまう。
「あなた、凄いわ。『他人の否定意見は雑音! 全無視!!』なんて言い切れちゃうんだもん……でも、その通りかも。他人の評価なんて、良いこと以外はなんの役にも立たないし、悪口みたいなものだもんね」
さっきまでの重苦しかった気分が少しだけ軽くなる。
「よし、統括部長に言われたことなんて全無視、全無視。地域マネージャーは企画を褒めてくれたもんね……」
宙に浮かんでいた3D文字が霧散して消えていくと同時に、スマホのAIが勝手に起動し、ダースベイダーのテーマを『ジャージャジャージャー、ジャージャジャージャー』と、大音量で流し始める。
「うわ……ちょ、今は音楽の盛り上げ、いらないから!」
慌ててスマホをストップさせ、この後、誰に相談すればいいのかを考え始めた。