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#鬼滅の刃23巻 単行本完結!

※以降、作品のネタバレが多数存在します。ご了承願います。 

 鬼滅の刃、単行本最終巻が発売されて、いろんなところで取り上げられて凄い社会的ブームを感じています。

 私も電子コミック版で最終巻を読ませて頂きました。ラスボスである鬼舞辻無惨との最後の戦い。主人公の竈門炭治郎の・・・と言うよりかは組織としての鬼殺隊と人喰い鬼との最後の戦い。敵もすんなり果てずに。

 でも最後の最後も炭治郎個人の戦い、のように見えて、鬼殺隊全員との戦いになってて。登場するキャラクター全員の想い、願い、などなどそういうモノが更に強く滲む最終章だった気がします。

 いろんなところから話題に出ていましたが、普通のジャンプ連載であれば「新展開」という切り札を出して、別のお話がまた続くんですよと言うのが人気作品にはよくあるんですけど、この作品はきっちり終わった。

 起点と終点がめちゃくちゃはっきりしている。主人公の家族が殺されて「提起」が生まれて、修業があり、初めての任務があり、戦いの中で強さを求め、鬼についての知識を得て、仲間を作り、成長していく。その目的が最終の敵である鬼舞辻無惨と、妹の禰󠄀豆子を人間に戻し、平穏な日々を取り戻す「結論」を得ること。

 エピソード自体は結構長くて、原作の3分の1しかアニメと劇場版で映像表現出来てない。でもその長いエピソードの中でも「目的」がはっきりしているからお話にのめり込みやすい。

 脱線しがちなキャラクター個人の内情や真相のエピソードは読む側の方々が涙を誘う内容になっていますが、このエピソードも鬼を斬ろうという目的であり、鬼になろうという目的であり、「そこ」に繋がるお話になっているからシンプルに話に入ってしまう。

 シンプルな「提起」と「目的」と「結論」だから、きちんと終わることに納得もしてもらえるし、面白さも「終わるという儚さのスパイス」もあって、更に面白くなるんだろうなと思ってます。

 と共に、話の中に過去に起こっている出来事が振り返られて実を結んでいる。劇中でもよく「あの時どうだったのか」と炭治郎が振り返る場面がよく見られます。ホントこのキャラは学習能力が高いなと感心しちゃいます。

 最終巻発売前の12/3の全国紙夕刊に載っていた「お館様」こと産屋敷耀哉のセリフも、最終巻じゃなくて途中の16巻にて、鬼舞辻無惨と直接話をしたときのセリフ。こういう途中の散りばめ方もあるんだなと。作者が一貫している「想い」が長いお話の間でもきちっと保っているんだなと感じるばかりです。

 そういう「想い」がしっかりしているからこそ、煉獄杏寿郎が「使命を全うする」というセリフにめちゃくちゃ納得感が出る。そのお話を見て、自分の生活や仕事に投影する。そして何かに気付く。ビジネスシーンでも刺さっているというのを聴いたりしてますが、それは驚きです。

 たぶん、このお話を通じて、何かに気付いたり、省みることになったり、何らかの影響を感じている人も多いんだろうなと思います。様々な作品に感銘し何かに「刺さる」状況になる時があると思いますが、鬼滅の刃は刺さる部分がめちゃくちゃ多すぎる。色んなエピソードで、色んな想いを持っていても、ある人にはここに刺さり、またある人には違う部分に刺さったり。

 単純に「面白かった」「泣いた」「爽快だった」だけじゃなくて。心のどこかへと無数の細い針と糸が全身に刺さるような気がして、痛いところに突いて、だから泣いてしまうんだよという人が多いんだろうなと思います。

 お話としてはホントにシンプルなんですけどね。私も刺さり方がエグいのをホントに感じてしまいました。あれこれは具体的に言えませんが痛いところめちゃくちゃ突かれています。

 社会現象として凄かったんだよと片付けるにはもったいない作品だと思いました。むしろ後世に残して引き継いでも良い作品になった気がします。今の若い人たちが鬼滅の刃に感銘を受けて、その子供、その孫に引き継ぐようなことがあるのかなと感じてます。

 これから新しい映像作品も出来上がって、作品としては更なる醸成がなされます。それに伴ってまた世の中は作品に注目をされるので期待したいですね。

 そうなることで、作者が感じている「想い」が人から人へ人伝で受け継ぐことが実現するんじゃないだろうかなと。思ってます。

 あと、この作品は、鬼は別ですが、人間に対しての「強くなる飛び道具」がそんなにないのが凄いなと感じています。強くなるきっかけも人間の奥底の能力でなされている。例えば「呼吸」もそうだし、武器の日輪刀も普通に鉄から作られて、個人の能力で輝きを増す。

 どこかの山の中にある誰も採ることの無い様な場所に自生する、ナントカの赤い実を!といういきなり成長を促すようなパワーアップアイテムがない。強くなろうと思ったら、強くなるために努力しないといけない。しかし、人間には限界がある。限界を通り越さないためにはどうしたらいいか?と言う感じで現実味のあるような展開をしているのが面白い。

 逆に「鬼になる」ということは最短の近道として表現している。永遠の命を得て、強さも劣ることなく無惨の血の濃さ次第でさらに強くなれる。そういう誘いをして禁断の実を得るキャラも居る。無惨はそのことで子分を得る。しかしながら、子分の鬼も個々に想いがあってなかなか無惨にとって融通の利かない状態になる。

 それと、鬼殺隊の柱の中で裏切って鬼になる人間も出ると思ったけど、その表現が全く無い。表立ってわかる範囲での鬼殺隊から鬼になったのは、継国縁壱の兄の巌勝(⇒上弦の壱・黒死牟)と、善逸の兄弟子の獪岳(⇒上弦の陸)かなと。自分だったら、柱の裏切りはあっても良かったと思うが、それをしないことを貫いた作者も凄いなと感じる。

 最後に、鬼滅の刃は、作品表現自体がグロテスクでなかなか取っ付きにくい。だから見ないという方もいらっしゃいます。

 個人的にもあんまり他人にはおススメしない。お話の深さはおススメ出来ますが、表現的なモノでお勧めしにくい。だから「キメハラ」なんて言葉も生まれているんだろうなと思いつつ。前のnoteでも書きましたが、色々敷居が高くてなかなか入り込めないというのは、アニメということもあるんでしょうけど、その部分もあるのだなと。

 落語家の立川志らくさんも自宅に単行本が22巻あるということですが、冒頭で家族が鬼に惨殺されるシーンがあり1巻で滅入ってその先を見ていないというのを仰ってたのを記憶してますが、確かに平気で首、手足斬っちゃってますし、血なんて絶対的に出ちゃってますし。状況によっては内臓的なモノもコンニチハしてますし。

 鬼滅の刃のお話を見るとともに、吾峠呼世晴さんの他の作品が気になって短編集を購入して読ませて頂きましたが、どちらかと言えばダークサイドな尖ったファンタジー作品が多いなと思って。たぶんコアなファンには受けても一般受けしづらい、嫌悪される様な作品だなと。

 鬼滅の刃の元になっている短編作「過狩り狩り」も掲載されていますが、鬼滅と比べたらダークすぎて。おそらくそこから少年漫画としてのテイストを入れて主人公キャラも幼げな表情になっていったんだろうなと。おそらくここのきっかけがなかったら鬼滅の刃は冨岡義勇と不死川実弥が主役の作品になったんだろうなと個人的に妄想しちゃってます。(笑)

 23巻の最後に「この作品はみなさんと作った物語」と書いているのはそういうことなんだろうなと感じています。色んな人からの助言があって作り上げられた作品。作画の疾走感や作者の世界観は絶対維持して、そこに少年漫画としてのノウハウを編集部の方が注ぎ込んで、この作品が出来上がったんだろうなと。

 なので、見なくていい方は、無理して見なくて良いです。見たい人だけ見ましょう。でも、興味を持って、ご自身の肌感に合っているなと思ったらそこから先はこの作品の沼にハマり込みます。そういう作品です。

 ということで、長々と失礼しましたが、鬼滅の刃としての作品の感想でした。またいつか思いついた時に。アニメが放映されたらまた熱を帯びたいと思います。(笑)

追伸、

最終話、伊之助の子孫の青葉の白衣が、割烹着だったら面白いのになと思ったのは私だけの話です。(笑)