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そこに描かれていない物を読み取ってしまう病 - タコピーと創作の魔力

この記事では、「また描かれてないものと戦っている記事があるな」と感じたことから始まった考察と、「しかしそれこそが創作でもあるんだな」という話をします。

描かれていないものを読み取る技術

タコピーの原罪について、意見を述べた以下のような記事がありました。

この記事は個人の意見なので、まさしく文中に本人が書いているとおりに原則として何を書いてもよいですが、タコピーの原罪に関する記述を中心に色々と誤っていると思われる箇所があるので、端的に述べていきます。

タコピーは性的虐待の被害を描いてはいない

12話までの時点で、直接的に性的虐待の被害を描いている箇所はないですが、「虐待の連鎖」という事の否定のために性的虐待の論文を大きく持ち出し、その説明を大きく行っています。しかし、それは「仮にタコピーが虐待の連鎖を描いていたとしても」全く関係がありません。
性的虐待とその他の身体的虐待で傾向が同じ・違うという事についての定まった見解はないので、それには論理的な飛躍、いわゆる詭弁があります。

タコピーは必ずしも「虐待の連鎖」を描いているわけではない

より本質的な事をいうと、タコピーは必ずしも「虐待の連鎖」を描いているわけではないです。例えば、東くんの家を見てみましょう。東家は、判明している限りでは母、兄の潤也、弟の直樹で構成されていますが、母の直樹への接し方は一種の虐待的なところがあります。兄の潤也に対しても、そこまでではないにしてもある程度は共通するような描写がありますが(ゲームへの言及の仕方や反抗期における接し方の描写など)、にも関わらず兄の潤也にはその悪い部分が継承されている様子はありません。また、直樹が「自分の子供に対して」虐待をするというような描写もありません。むしろ、直樹は(自身の子供ではないですが)しずかちゃんに対しては期待に応えようと必死に頑張りますし、12話においてはまりなちゃんにも「まりなちゃんの顔の傷のような事には触れずに、まりなちゃんとある程度良い関係性を築けている」という様子が記されています。
しずかちゃんは、いわゆるネグレクトに近い扱いを受けているような描写が散見されますが、ではしずかちゃんは大事なチャッピーに対してどのように接しているかというと、チャッピーを虐待するような描写は現時点で見受けられません。大型犬を飼育するには一定の費用と手間がかかるのではと言われますが、費用については資金的な部分は母の稼ぎ等によってクリアされる可能性が十分にあります(給食費が未納ですが、払えないから未納であるとは言われていないし、チャッピーの飼育費を含むと払えないという事でも通用はするため)。残った手間の部分は誰が対応しているかというと、しずかちゃんが一定量の対応をしている事は疑う余地がありません。しずかちゃんはチャッピーと悪い関係性ではなく、犬のチャッピーにどこまでの意志があるのかというのが不明であるとはいえ、チャッピーはまりなちゃんからしずかちゃんを守ろうとしました。しずかちゃんはチャッピーに対して偏ってはいるかもしれないが愛に近い情を向けた上で、実際に手厚く接していたと考えられます。チャッピーがそれに否定的な描写もありません。
もちろん、しずかちゃんが自身の子供に対しては愛情を注げず、ネグレクト的になるという可能性も全然あるので、自身の子供ではない対象への振る舞いで全てが描かれるという事ではないです。しかし、少なくとも現時点での描写に限れば、しずかちゃんにおいてはネグレクト的な結果が連鎖しているような描写はありません。

では、最後にまりなちゃんはどうでしょうか?

実は、あの乱暴なまりなちゃんにおいても、「虐待の連鎖」が示されてはいません。というのは、作中でまりなちゃんが乱暴をしているのは、あくまでも「自分の気に食わない対象」が相手であって、自分が本当に大事にしたい対象が相手ではないからです。
タコピーが「まねっこしてたんだっピか」と言っているのは、あくまでもタコピーへの接し方の事を言っているのだし、まりなちゃんは子育てを意図してタコピーに接している訳でもありません。
実際、東くんに対しては、付き合い始めて順調な時点においては特にまりなちゃんが暴力を振るう様子はありませんでした。(今後思い通りにいかない場面で、それを暴力によって解決/支配しようとする可能性を否定している訳ではないですが、12話時点では。)

ただし、まりなちゃんが自分以外のある種の対象に対して乱暴に振る舞うという事は紛れもない事実であって、また家庭内を知る人からすれば、母の行動と連鎖しているようにも見えます。見えますが、しかし、これは同時に「まりなちゃんがそれに気づいて意図的に是正すれば、連鎖しない」という可能性を残したものでもあります。タコピーが無邪気に母との類似性を指摘した後のコマのまりなちゃんの表情と無言のコマ、そこでまりなちゃんが何を考えているか?という事はわからないですが、ここで客観的に自分の傾向を見つめることができれば、それに対して抑止的に振る舞う事ができる、という可能性も残しています。
つまり、今後の見せ方や解釈によっては、「自分自身の傾向を理解して自制することで、本当に幸せな家庭を築く」という事への一つの道筋にもなり得るわけです。

「虐待の連鎖」なんて、最初から描かれていないわけですね。
(ネット上の様々な意見が、虐待の連鎖と受け取っているか否か、という事はまた別の問題ですが…)

ここに記している事は、作中事実と、それに基づいた様々な可能性についての考察なので、上でリンクを貼った記事が如何にタコピーの原罪を読まずに/読めずに論じているか、という事がわかります。

ある種の連鎖的反応は描いているが、「同じ行為/同じ結果」の連鎖が後天的に確実に発生するとは描いていない

さて、ここまで「虐待の連鎖」という事について述べてきましたが、「虐待の連鎖」ではない連鎖/相互作用みたいなものについては、非常に詳しく描かれています。虐待が絶対的に虐待に繋がるという描き方ではないけれども、虐待に繋がる可能性もあるし、虐待ではないが異常な考え方、例えば東くんの完璧主義/強迫観念であったり、しずかちゃんの虚無的/自分の目的のために全てを利用するある種のサイコパス的な特性であったり、といった事が形成された一因についても、生育環境などを通して記されています。
この描写から言えることはあくまでも「ある種の連鎖的反応を描いている」という事であって、「『同じ行為/同じ結果』の連鎖が後天的に確実に発生すると描いている」という事ではないです。その連鎖の結果が全体的に似ている場合もあるし、潤也みたいに親に反発する場合もあるし、直樹のように親と努力の面で似てはいるがねじれている場合もあるし…
ある側面では似ていても別の側面では似ていない、みたいな事も含めて丁寧に描きわけられていて、虐待の連鎖みたいな結果の連鎖のような事は描かれてはいないのです。もちろん、読み手がそのように読むことしかできなければ、それを描いている事にされてしまいがちですが…

でも、それこそが創造性であるとも言える

私は上記のような誤読については、多くの場合肯定的な感情を持たず、今回も例外ではありませんでした。たまに、なんでこんな誤読ばかりするのだろう、と思う事もあります。
しかし、刺激Aを受け取って、似て非なる別の刺激Bを作り出すという事は、実は創造的な営みでもあります。
今回紹介した記事は、あくまでもタコピーの原罪およびそれに対する反応をインプットに、タコピーの原罪が本来描いているものとは違うことを考え、その違うことについての意見を開陳するという事をやっているのですが、それはもはや創作なのですね。

本来意図したものではないでしょうが、タコピーの原罪は、このように他者にインスピレーションを与え、それに批判的な感情を抱く人にも創造性を与えるという、面白い魔力を持っている事になります。
(私自身、ルックバックを読んで、そのインスピレーションで会社の開発チームの理念を作るという事をやったので、インスピレーションを否定するものではありません!創造性おもしろい)

おまけ:記事のタイトル自体はそんなに間違っていない

紹介した記事ですが、タコピーの原罪に描かれている事への認識は間違っているものの、『「タコピーの原罪」が明らかにするネット民の差別と偏見』というタイトル自体はあながち間違っていません。というのは、ネット上にはたしかに紹介した記事が否定したいような意見も存在しているからです。
タコピーの原罪についての部分を丸々除いて、多少の論理破綻を無視すれば、本質的な主張も必ずしも誤っているとは思っていません。ただ、紹介した記事も、それが参考にしているツイート等も、関係ないことについてタコピーからインスピレーションを受けて語っているだけで、それがタコピーの本質だと思うと変な事になってしまうなあ、と思っただけでした。

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