タコピーと比べたりして考えるコードギアス
今更、アニメのコードギアスを50話通しで見て、思った事のメモです。最近、いくつかの映画やアニメを見た中で、コードギアスは中でも比較的面白く見ることができたので。
本当にただの雑多なメモです…
思いのすれ違いとアクシデントで紡がれる物語
コードギアスはタコピーと比較すると、よりアクシデントで話が進む感が強くなっています。
タコピーの原罪において、タコピーがまりなちゃんを殺してしまったのは大きな事故ですが、それ以外はアクシデンタルな出来事というより、大局的に因果関係がはっきりしている出来事でした。
コードギアスでは、うっかりユーフェミアにかけてしまったギアスを始め、スザクとルルーシュが二人で会おうとした時にスザクがつけられた事でルルーシュが捕縛されて関係がこじれたり、スザクがかけられたギアスによって意図せずフレイアを打ってしまったり、とにかく意図とずれたアクシデンタルな事柄による物語の展開が相対的に色濃く出ています。それによって思いがすれ違い、さらに違った方向に物語を進めてしまう、という側面も強調されています。
こういった観点で、アクシデントの量という部分でタコピーとコードギアスには差がありますが、物語の原動力の構成・大構造についてはやや似たものを感じます。
この構造の対極的なものとしては、BARレモン・ハートなどでしょうか。BARレモン・ハートは基本的にどこかへ向かっているような話ではなくて、また物語の土台にはマスターのこだわりやそれぞれの人物の思惑があるといえども、それが物語の原動力という事ではなくて、「やってきた仕事を捌く」というような構造をしています。こち亀や山口六平太なんかもそうですね。バトル漫画でこの構造に比較的近いのは、るろうに剣心でしょうか。主人公の剣心が目標とする事にたどり着くような話の筋があるというよりは、周囲で発生した事件や仕事を片付ける事が物語になっているというパターンです。それらと反対に位置する、明確に主人公にやりたい事があって、直接的にそれを目指すという物語の方が、今の私には刺激的な気がしました。(レモンハートも山口六平太も、それはそれで好きですが)
感情移入のための荒唐無稽な学園生活
コードギアスにはいわゆる日常回のようなものがありますが、学園生活にナイトメアフレームを持ち出したり、世界観の中でもかなり荒唐無稽と思われるネタで成立しています。しかし、荒唐無稽でありながらも感情移入はしやすくなる要素があり、(特に新しいわけではないですが)改めて中々面白い構造だなあと思いました。FF8とかもそうだったもんな…
反射的に本心と異なる思いを言えることと、嘘
ちょいちょい、色々な人がルルーシュを嘘つきと言う場面があります。確かに嘘つきではあるものの、そんなに明示的に嘘をついてたっけと思うと、確かに感情が絡むところでははっきり嘘をついてはいるんですよね。
ユーフェミアにギアスをかけた理由についてスザクから問われて。ナナリーから自分の為にこんな事を続けたのかと問われて。しばしば"事故"の直後に、自分の本心と反対の、「公言している目標に対して最も近づいていると見えるような評価の仕方」で見たときの意味付けを答える事があり、しばしばそれは事実と異なっている事がありました。ただ、逆にそうしたものを除けば、いうほど嘘つきではないようにも思えます。どうでしょう。
終わらせ方が整っている
元々マンガではないというのもあって、話の終わらせ方がとにかく整っているように感じます。ようやく"完結"したエヴァとは対照的です。まあ、元々の台詞や帳尻合わせとしてはこうだろう、みたいな事が割と考えられる終わり方だとは思いますが、きちんと終わらせたという感じですね。