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離婚しようと思っていたのに、結婚14年目

いつだったか忘れてしまったけれど、コロナ禍のいつか、たしかに離婚の話し合いをした。

五十歳を見据えて、もうこの人とやっていくのは無理だと思った。辛くて苦しくて、この先の人生をそんな風に過ごすのは耐えられない。関係を再構築するために仕事を辞めて家に入る選択をしたのは、結局のところ誤りだった。この人は変わらない。四十代も半ばに差し掛かり、もう変わりようがないのだ。

結婚してから二度、大きな話し合いをした。
彼はそのたびに言った。
「俺、変わるから」
そして結局変わらなかった。……いや、変わった部分もある。彼なりに努力して、ほんの少しではあるけれど変わったところも。でもその代わり、別の部分が悪くなった。まるで、これをやるんだから これはやらなくてもいいんだろう? とでもいうように。

三度目の正直と、はじめて子どもたちに打ち明けた。
「ママはもうやっていく自信がない」
子どもたちは健気にも理解を示してくれた。
「そんなに苦しい思いをしていると知らなかった。でもママがそう思うのはわかるし、今までよく頑張ってきたと思う。ママの思う通りにしていいよ」
その時に見せた息子の悲しそうな顔を思い出すと、今でも胸が痛む。彼はまだ小学生だった。

土曜日のうららかな日差しが差し込む午後のこと、子どもたちも同席のもと、夫を前にいよいよ離婚を切り出した。
「もう無理です。子どもたちにも伝えて、理解してもらいました。離婚してください」
夫はきょとんとした表情で、私の言葉に首を傾げた。
「え、俺そんなに悪いことしてた?」

彼はまるでわかっていなかった。彼が思う『悪い人物像』は、ギャンブルや借金にまみれたり、暴力をふるったり浮気したりする人で、自分はそれのどれにも当て嵌まらないし、何なら毎日家に帰ってつつましく暮らしている模範的な良い伴侶だと考えていた。

私も最初はそう思っていた。ありとあらゆる違和感があっても、『そんな種別』のことをするわけではないし、それに比べればマシなのだ。こんなことで相手を断罪するなんて出来るわけがないと。

でも積み重なっていく塵がやがて小山となり、見渡せばいくつもの小山に囲まれて美しい風景が見えなくなっていた。それに気づいたとき、結局のところ、価値観の合わなさや考え方の相違は大きいも小さいもなくストレスなのだとわかった。
四十代の初めに更年期の症状が出始めて、いくつも婦人科を回ったけれど「年齢的にまだ更年期ではない」と言われ、合わない薬をいくつも飲むはめになった。どれを飲んでも改善せず、度重なる点滴で重症化し、呼吸困難で死にかけたこともあった。
それもストレスだったのだとあとになって気づくのだ。

子どもたちが援護射撃をしてくれた。私がこれまでどれだけ言葉を重ねても伝わらなかったことが、子どもたちの言葉を通じて心に沁みたようだった。
自分の考えは間違っていたのかもしれない。
これまで何度も伝えてきて、そのたびに「わかった」と言ってきたけれどアクションを起こしてこなかった彼は、きっとこの時に初めて、本当の意味で理解したのだと思う。

「ごめん。自分がそこまで出来ていないと思っていなかった。本当に本当に変わるから、チャンスをください」

私にとっては三度目の言葉だ。どうせまた同じことを繰り返すだけで、期待する分ストレスが増える。
けれど、子どもたちにとっては初回だ。
「お父さんがここまで言っているのだから、少しゆるしてあげたら?」とその目が訴えている。

子どもたちに免じて、最後の一回。

「わかった。でも、次はないからね」
緊張でこわばっていた息子が破顔し、夫の肩を叩きながら「良かったね!」と喜ぶ。娘は「ママいいの?」と気遣い、夫には「ちゃんと頑張んなきゃだめだよ」と発破をかけた。

夫から、「俺はすぐに忘れてしまうから、なにがダメだったのか教えて欲しい。わからないから何をしたらいいのか教えて欲しい。紙に書いて忘れないように貼っておくから」と言われ、私と子どもたちで『これだけは』ということを伝えた。
A4のコピー用紙に、黒いマジックペンでつらつらと書き綴り、それをカレンダーの上に貼った。カレンダーであれば度々見るので忘れることがないからと。
正直、彼の頑張る発言には懐疑的だ。でも全員で問題に取り組んだという変な高揚があり、家族という一体感があった。だからこそ、
――これでダメだったら……もう本当に終わり――と思ったのだった。

***

その出来事があってから数ヵ月が経ち、私は以前と同じようなことでイライラしていることに気がついた。毎日が忙しくて、日々をやり過ごすのに必死で、少しずつ以前と変わらない状態に戻りつつあることに、気づくことが出来ていなかったのだ。
積み重なる小言の多さにふと、あの約束の日がフラッシュバックした。
「結局、変わらないじゃない」
もはや、悲しみも憤りもなかった。そこにあるのは、ただの『呆れ』。

子どもたちがあんなに必死で訴えたのに、この人は変わることが出来ないのだ。家族が終焉を告げるとわかっていても、自分は自分のままなんだ。そんなことを思い、冷ややかな気持ちになった。
と同時に、子どもたちをぬか喜びさせてしまったことを後悔した。こんな風な結末を迎えるのであれば、最初から悲しみをあの一回に集約してしまった方が良かったじゃないか。
なにより子どもたちを傷つける彼の言動が嫌いだったのに、私も結局加担してしまったとひどく悔やんだ。

子どもたちが口々に言う。
「どうして本気で頑張らないのか」
「なんで努力出来ないのか」
夫は言う。
「本気で頑張ろうと思ってたさ!でも忘れちゃって……わざとじゃないんだって!また頑張るから!何をやればいいのか教えてよ!」

その言葉に、我々はふと立ち止まった。そういえば、話し合いをした日に同じことを言っていたな。紙に書いて目につくところに貼っておけば忘れないと……。
そしてゆっくり、全員でとある方向に目を向ける。

カレンダー。

あの日、カレンダーに貼ったA4のコピー用紙。そこに黒いマジックではっきりと見えるように書いたいくつかの約束事。それが、きれいさっぱり消えていた。

カレンダーの、月が変わったから。

月めくりだった。月が変わり、カレンダーに貼られたコピー用紙も一緒にめくられて、消えていた。

……ばか野郎。

誰だ、カレンダーに貼ったやつは。
誰だ、カレンダーに貼ってあるA4のコピー用紙を無視してめくったやつは。
誰だ、そこに貼っても意味がないと指摘しなかったのは。

多分みんな同じことを思っただろう。それだけの「……。」がそこにあった。

そして、爆笑。

その時、なんだか全部どうでもいいやと思えた。
この人は生粋のバカだなと思うと同時に、そもそもそんなことにも気づかない自分もバカだと思った。
子どもたちも出来事のバカさ加減に大笑いしている。夫も、私も。
意味ないじゃん。
そんなことを言い合って笑い転げた。

あれから数年が経ち、今でも相変わらず小言を言っている。性懲りもなく離婚だ!と思うほどの苛立ちを覚えることもあるし、くそ野郎!と言い合うこともある。けれど、そう言いつつ頭の片隅でただムキになっているだけの自分も俯瞰して見えている。
結局、相手ばかりが悪いのではない。自分にだって弱点はあり、それを許容してくれているところだったあるのだ。そう思うと「この程度でグチグチいうのはよそう」と理性が働くようになった。

理想の夫婦像とはかけ離れているけれど、なんだかんだこのまま歳を重ねていくのかもしれないと、夫と過ごす将来が見え始めている。以前なら考えられなかったことだ。
単純に歳をとったせいかもしれない。ごつごつとした石がぶつかりあって、角が取れてきたのかも。

いずれにせよ、今日で結婚14年目に突入だ。
この記念日当日に、(10年目をのぞいて)一度だって祝ったことのない夫婦の14回目の始まりとしてこのnoteを書いている。
これから夫婦として円熟味を増していくのか、猟奇的な展開を見せるか、またはエンドロールへの静かな序章なのかはわからないけれど、なんでも忘れてしまう年ごろになった今、残せることは残しておきたい。それが良いことでも悪いことでも、きっと夫婦の記録になるから。

私たち、結婚記念日おめでとう。
とりあえず、今日くらい喧嘩すんなよ。


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