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「リビングルーム livingRoom」@世田谷パブリックシアター 2023.05.19-21

2020年に「ねじまき鳥クロニクル(2023年11月に再演されます)」という作品で初めて出会ったインバル・ピントさん(と、思ってましたが、勘違いでした、すみません、その前に百万回生きた猫を拝見しておりますね)。振付家であり、演出家であり、美術や衣装も手掛けられる。人間は兎角、何かを伝えたい時に言葉に頼りがちだけれど、彼女は絵や動きや音楽も使って語り出す。そこには受取手の自由とか余白のようなものが残されていて、特に今回の「リビングルーム」では、そうした自由や余白があったように感じるし、観た人の数だけ「自分のリビングルーム」が在ったんじゃないかなぁ・・・って思います。そういう楽しさのある作品でした(^^)

日時:2023年5月19~21日、3公演
劇場:世田谷パブリックシアター
振付/衣装/舞台美術:インバル・ピント
出演:モラン・ミュラー
  :イタマール・セルッシ
上演時間:60分
備考:各公演終演後にトークショー開催


TOPの写真に写っている、淡いピンク色の壁紙が三方を囲む一部屋。
下手側面にはドアくらいの大きさの開口、正面下手側にはアンティークなチェストっぽい家具、正面上手側には1脚の椅子とテーブル、壁付けの照明が一つ、というシンプルな空間。

そこに女性が一人。この部屋の主なのかな・・・と思いつつ観ていると、磁石のプラスマイナスのように、彼女の体の一部が家具に吸い付いてしまう。離そうとすると、また体の別の場所が吸い付いてしまい、彼女は家具から、なかなか離れられない。
やっと家具から離れても、壁沿いにしか進めなかったり、今度はチェストに捕まっちゃったり。いや、実際に捕まってるわけじゃないんだけど、彼女の動きから「そう感じる」と言った方が近いかも。一種のパントマイムなのかな?、具象的じゃない、心象的なパントマイム。

そうこうする内に、例のアンティーク風チェストから、結構、大柄な男性がニョロンと出てくる。チェストの小さな扉から大男が狭そうに出てくる姿は一瞬コミカルでクスクス笑いそうになるんだけど、これ、変質者?っていう現実的な想像も一瞬膨らみ、どっちだろ?と思う(笑)
その内に、ニョロンと出てきた男性も踊り始め、やがて彼女とのデュエットとなっていく。段々、熱くなっていく二人の踊り。二人の間に、そういう時期があったのね・・・と、二人のデュエットが終わってしまってから、ふと秋の空を見上げたような気持ちになる。
(ちょっと詩的に書いてみましたw)

やがて、一人に戻った彼女もまた、リビングルームから消えてしまう。

この部屋は、彼女の部屋だったのだろうか・・・?
誰かの部屋っていうよりは、一つの時代を生きた人の人生を暗喩してるような空間に想えてくる。限られた中で、思い通りに生きられないような、そう・・・、まるで「ままならない人生」を観てるような。

リビングルームの外に出た彼女は、まるで壁紙の柄になったかのように、壁紙の絵柄の世界に溶け込む。そして、やがて、壁紙そのものとなってしまった。ちょっともの悲しいエンディング。



女性役を演じられたモランさんがとても表情豊かで、しかも踊りも表現豊か。彼女の動きを観ているだけで楽しめました。公演、三日間の間に3回上演されたんですが、どんどん、どんどん、自由を得て豊かになっていくようにも感じられて。日本の劇場や客席の雰囲気に慣れた頃には終わっちゃったんですが、次の京都公演も楽しみとのことで(トークショー談)良かったなと(^^)

毎公演、終演後にインバル・ピントさんと、ダンサーさん達二人と日替わりゲスト(海太郎さん、白井さん、平山さん)で行われたんですが、初日は公演の中で使われいる音楽についてがメイン@海太郎さん、二日目はインバルさんの演出的な意図について@白井さん、最終日はダンサーさん達とのクリエイションにまつわる話@平山さん、と色々な視点から作品について伺える機会でした。
その中でインバル・ピントさんが繰り返しおっしゃっていたのは「御客様の想像力を大切にしたい」というフレーズだったんですね。
今回の美術や振付など、インバルさん自身が描いたものはあるけれど、それを(トークの場で)自分の意図を語ることで御客様の想像力を狭めたくない、要は、色々な受け取り方があっていいんだという主旨の御話をなさってました。

まぁ、もう終了した公演なので、書いても差し支えないかなぁ・・・
トークの中でインバル・ピントさんが「自身の思い描いたもの」として答えてらっしゃったのは、人間と家具の(力)関係が反転したら面白いんじゃないか?という着想が今回の作品のスタートだったと。それが、あの女性の家具や壁から自由になれない動きになっていったんでしょうね。
あと、あの壁紙は、具体的な空間を指し示しているわけじゃなくて、自分と、自分以外、という世界を分ける薄い皮一枚のような存在で、ラストに彼女が壁紙の一部になってしまうのは、彼女の人生も歴史の中の1ページになっていくイメージだったそうです。
ちなみに、あの絵柄はロックダウン中に御自宅で御子さんと壁に絵を書いてたそうで、その時の絵をモチーフになさったような話もあったような?(うろ覚えですみません)


今年の11月かな?池袋のプレイハウスで「ねじまき鳥クロニクル」が上演されますが、小説が原作にある作品の舞台化とはちょっと違う、受け取り手の自由が沢山あった作品で、私はこの作品が好きでした。
また、新しいダンス作品を持って来日して下さったらいいなと願いつつ。