わが星(ニシサトシ演出版)@シアター風姿花伝 この時の胸のうち。
いくつになっても、(こうしたい)と自分が動き出した時、それはハッピーバースデー!トゥーミー!な瞬間なんじゃないかなぁ~?
誕生日に限らず、年1回でもなく。
観劇後、自分が感じたものをなかなか言葉に落とせなくて、所謂、観劇感想のようなものも書けていないとは思うものの、あの日、自分の中にあった「胸のうち」を言葉に落として残しておきたいと思って書きました。
公演概要
『わが星』 @シアター風姿花伝
日程:2024年10月24日~30日
主催:TextExceptPHOENIX+steps
作:柴幸男
演出:ニシサトシ
出演:佐藤友(わたし)
鈴木睦海(姉)
梶原航(母)
矢野昌幸(父)
瑚海みどり(婆)
寺内淳志(月)
小林亜美(先生)劇団俳優座
中川友香(男子)
たまたまの先にあった、胸のうち。
①観劇当日のずっと前
思い返すと、最初の「たまたま」は、これでした。
SPACで上演されたイヨネスコの「授業」。
この時がニシさん演出の芝居を観たのも初めてだったし(2018年の10月ですって。もう丸6年前ですって。びっくりですよ笑)、静岡芸術劇場に行ったのも初めて。
水戸芸術館のACM劇場(水戸の演劇用ホール)には行ったことがあったので、静岡芸術劇場に一歩足を踏み入れた瞬間、そのそっくりさ加減に驚いたのと、そもそも劇場という空間自体が好きなので初めての劇場に行った時は色々な場所から舞台上や劇場空間そのものを見て回るのが習慣だったから、その時も御多分にもれず、一人ぐるぐる、そわそわ、客席内を動き回った。
1階の最後列から続く、2階?部分の袖席部分。そこに座ってらっしゃる方々はいらっしゃらなかったし、手前の通路に人が立ってらっしゃる。ここから先は入っちゃいけないのかな・・・そう思った私は
「この先に、入ってもいいですか?」
と通路に立ってらっしゃった方に問いかけた。
振り向いた方のお顔、さっき、チラシで見た。その時点で気付く(やっちゃった。演出家さんだ。)
「あ、大丈夫ですよ」そんなような言葉で返して下さったような記憶。
じゃあ、失礼して・・・と、そそくさと2階の舞台側に行ってみる。
立ってみたり、座ってみたりして、どれくらい見切れるものかと確認。気が済んだところで1階に戻ろうとした時
「芝居(演劇?劇場?)好きなんですか?」と声をかけて下さった。
それがニシさんとの出会いだったなぁ・・・と懐かしく想い出す。
その後、新国のこつこつプロジェクトでニシさんが演出された「リチャード三世」のリーディングを聞きに行ったりはしたけれど、顔見知りという間柄でもなく私が一方的に存じ上げているだけ。だから、今年の2月アゴラに滋企画さんの「オセロー」を観に行って開場待ちをしていた時、劇場内のロビーにいらしたニシさんを見かけたものの私からコンタクトを取ることもしなかったけれど・・・それからしばらくして(まだ開場前)わざわざ外にまで出てきて下さって、ニシさんが私に声を掛けて下さった。まさか、静岡の時のことを覚えて下さっていたとは思わなかったので、嬉しい驚き。
この時、ニシさんが声をかけて下さらなかったら、文学座さんのオセローでお話させて頂くこともなかったでしょうし、その先で今日「わが星」を観てなかったかも?しれないし(いや、観てたな笑)、滋企画さんの「オセロー」でオセローを演じてらっしゃった佐藤さんも来場なさっていて御席が近かったこともあり「あのオセローでオセローが初めて面白いと思いました!」とオセロー上演期間中伝えたいと思っていたことを言葉で御伝え出来ずにいたかもしれない。「わが星」劇中の月の言葉じゃないけれど「あの時声をかけてくれてありがとう」そうした想いがあふれた目白駅への帰り道だった。
静岡に行ってなかったら
劇場内をウロウロしてなかったら
ニシさんが客席の様子を見てなかったら
こうした「たまたま」の先にあった、ごくごく個人的なことと作品が重なり合った瞬間に、何だか不思議な偶然を感じる自分が居た。
②観劇当日
舞台が終わって、ロビーに出た。そこにニシさん。
「私は、好きです(^^)」
何の告白(^^;
もう少しちゃんとした言葉に出来なかったのかと後悔しつつも、先に書いた月の台詞(「あの時声をかけてくれてありがとう」)が心の中で響いたり、私は「伝えたい言葉」をどれだけ伝えられずに生きてるんだろう・・・(今日一つ伝えられたけど)そんなことをグニュグニュ想いながら歩いてると目白までの15分が早い早い(笑)
「わが星」という作品の土台というか、ちーちゃん(地球)とその家族(銀河系の惑星たち)が、人の一生と地球が生まれてから滅亡するまでの100億年とに擬えて?書かれていることは察してるんだけれど、今日の自分はとても個人的な家族との記憶だったり、たまたまの重なり合わせの先にあった今日の時間の方に心が引き寄せられていて、言葉にはなかなか落ちてこないような感情が心の中にあふれてたんですよね。お父さんとお母さんの日々辺りから泣いちゃってたし。その前のおばあちゃんの場面でも泣いちゃってたし。でも何で自分が泣いてるのかは言葉に出来なかった。
③観劇してから10日後?
本当は、もう一回、観劇予定だったのだけれど。
大変申し訳ないことに仕事の都合で時間的に間に合わないことが判った時点で御連絡差し上げて。(その日は満員御礼増席日だったことだけが救い)
本当に申し訳ありませんでした。
改めて、観劇した時や数日後に自分が呟いていたことを読み返したり、ニシさんが公開されたnoteブログを拝読したりして、思い返す。
とても個人的な話ばかりだけど。
自分の家族の中で私はちーちゃん(地球)だった@末っ子。姉もいて、団地ではなかったけれど、ごく普通の昭和な家族だった。
この歳になって自分が子供だった時のことを客観的に思い返すような機会もなかったけれど、観ている内に古いアルバムを開いたかのように「わが星」の中の家族と自分が重なってくる。
モノをねだる子じゃなかったけど(多分w)、末っ子独特の甘えた部分はあったんだろうな~と思うし、姉はそんな妹をどう思っていたのかな?とか、父や母はどういう想いで日々を過ごし子供達を育ててきたのかな?とか、今では知る由もないことに想いを馳せながら見てしまう。今の私だったら、そうした姉や両親の想いも少しは察せられるかもしれないけれど、子供の頃のちーちゃんだった「たーちゃん」は、全くそんなことを想った記憶もなくて(あー)。ひたすら、守られてきたんだな。そう感じて泣いていたのかも。
末っ子の「たーちゃん」が少し大きくなった頃、芝居に出会った。
15歳の頃から数十年間、芝居だったり劇場という場所だったりが御縁で「たまたま」出会った方々が沢山いらっしゃる。
それこそ「あの時声をかけてくれてありがとう」というきっかけが無かったら、今、私はこの世にいないかもしれない。そういう御縁もあった。
数年前、生まれて初めて、大きな手術をすることになった。当時はコロナ禍。手術自体が制限されていたので、なかなか予定が決まらない(心肺停止の危機とか、どうしてもそういう状況の方々が優先されるので・・・)。
手術してみて、術中に摘出した細胞を病理解剖してみないと悪性か良性かわからない、そう言われていた。その時、自分は全身麻酔中なので、結果は麻酔が覚めてからしか知る由もない。この時ほど、自分の目の前に「死」というものがリアルに現れたことはなかったかも。それから人生観が変わったのも事実。
生まれて、死んで。
その許された時間の中で。
自分が信じる方向というか、こう生きたいと思う方向というか、そういうものに向き合い、どちらかを選ぼうとして迷う・・・
それは、光速を超えて会いたい人(地球)に会いに行く、その決断だったり
もしくは、先生のように光速を超えることを諦め後悔するのか。
そうした事を、余韻のように、気付くと考えている。
そして、今日、ふと思った。
それが冒頭に書いたこと。
いくつになっても、(こうしたい)と自分が動き出した時、それはハッピーバースデー!トゥーミー!な瞬間なんじゃないかなぁ~?
えっと、記憶違いじゃなかったら、バースデー!トゥーミー!、ありましたよね?(無かったら、ごめんなさいーーー!)
最後まで個人的な想いに終始してしまって観劇感想とも言えないけれど。
私だけじゃなく、誰にでも、死んじゃうまで歳に関係なく「バースデー!トゥーミー!」な瞬間があったらいいなと思うし、そうした一歩を踏み出す勇気を、地球を遠くから見てる男子のように見守っている人がいてくれたら、たとえその人との「たまたま」は無くとも、何だかいいなとも思う。
今、私がまがりなりにも生きているのは、そうした見守ってくれていた人達の想いに守られていたからのようにも感じるので。
あーーー。
やっぱり、いつもの観劇感想のようには書けなかったけれど。
こうしたことを想いながら目白駅までテクテク歩いてた人間が一人居たねって、どこか遠い星から見てる人が居たかもね?(^^)
あ。最後に。
TOP画像に使わせて頂いた、この3種類のチラシ。
どれも今回の「わが星」のチラシなんだけど一見そうは思えないほど(笑)テイストが違っていて。でも、どれも紛れもなく今回の「わが星」なんですよね、不思議と。それが、今回の「わが星」らしいな~と思いまして、使わせて頂きました。
(さしつかえありましたら恐れ入りますがコメント下さい、削除致しますので・・・。よろしくお願いいたします。)