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「フェイクスピア」@観劇感想 版

「フェイクスピア」という作品を拝見して、色々なことを感じ、色々なことを想い、観劇から四ヶ月たった今でも色々なことを考えています。
野田さんが劇作家として作品を通して問われたんじゃないかな?と思うことは別記事に書きました。こちら ↓
  「フェイクスピア @戯曲・演出 版」
  https://note.com/sasanote3/n/n0f1fefd53c40
こちらの記事は、舞台自体の観劇感想です。
なお、前置きですが、役者さん個人のことなどについては一切触れていません。作品そのものに対する感想のみです。


野田さんの新作だから。
それだけで観に来ました。
まさか「フェイクスピア」というタイトルでボロ泣きするとは思わないじゃないですか。ハンカチ(というよりハンドタオルですが ^^;)持っててよかったです。

あの事故から36年経つんですね。
あの時、私は16歳でした。ちょうど芝居を見始めた時期です。
もう、そんなに経つんですね。

当時のニュースが未だに記憶に残っています。
乗客の方(たしか御父様で出張帰りと報道されたかと・・・)が残された数分の中で御自分の状況を察知し、胸ポケットにあった手帳の中に残される家族への感謝の言葉を綴られて、事件後、御遺体と共にその手帳も見つかったという報道でした。

今、それから36年後の未来に生きる人間として歴史を知っているが故に、目の前の舞台上の方々に訪れる悲劇が判るけれど、どうすることも出来ない。当事者でもなく、自分は客席という安全圏に居ながら、ただ、その瞬間が訪れてしまうことを見つめるしかない。どれだけ生きようとなさったのか。皆の命を助けようと最後まで諦めなかったのか。

それでも無責任に機長のことを「人殺し」などと言った方々がいらっしゃったのでしょうか・・・。
人は想像力を失うと平気で他人を傷付ける。
他人の痛みが、解らないんですよね。

今、SNS等で自殺にまで追い込まれる方々のニュースを拝見すると、事件当時も今も社会における無責任な誹謗中傷は無くなっていないのだなと思います。匿名と思って(今は色々と法律も整ってきましたから匿名じゃ済みませんけれど)平気で人を傷つける人もいる。
反面、自分さえ気付かずに、その人の発した言葉が誰かの楽しみや支えになっている場合もあるんですよね。「言葉」というものにはそれだけの力があるんだと思います。良くも悪くも、ですが。

折角、「言葉」という人が生み出した知恵があって。
それを伝える為の術も沢山あるのに。
大切な人に何か伝えられることも出来るのに。
何で、真逆のことにも「言葉」を使ってしまうのでしょうね?


人それぞれ考え方は違うでしょうけれど・・・
人って一人で居るとロクなことを考えないと思いませんか?

私にとって、色々な人に出会う場所が「劇場」なんですよね。
それは、リアルな人間関係に出会うということではなくて。

劇場の中で、目の前の人に何かが起こっていく。
その姿を観ることで、今の自分を観てる・・・んですかねぇ・・・。
少なくとも、今日、私はフェイクスピアを観ながら
「自分が今、生きている」
そのことへの感謝を忘れかけていたな・・・と痛感しました。

このコロナ禍になって一年と半年くらい。色々と我慢し続けて少し疲れちゃったんでしょうね。
でも、今、私は感染することもなく生きていて、仕事もあって、観劇に行ける程度の収入と時間もあって、それで何が不満だったんですかね?
私がこの2時間を楽しんでる。その生活を自分の命をかけて支えて下さっている方々がいらっしゃるのに。自分の為に我慢してるんじゃなくて、そんな状況を終わらせる為にみんなで頑張ってるんだから、出来る協力をしてるだけなんですよ。
そうしたことを、私は愚かだから、ちょっと時間が経つと忘れてしまう時があって。感謝とか、相手の状況を想像することとか。なかなか自分一人ではそうしたことに気付けなくて、ついつい不平不満を持つようになっていって、他の人の状況を想像する、そうした心の余地を失っていってしまうんです。

だから、この日。そんな自分の愚かさを目の前の方々の人生に触れることで見つめさせて下さって、感謝します。書かれた野田さんも、届けて下ったキャスト陣や支えて下さってるスタッフの皆様も。本当に。ありがとうございました。劇場という場所があって、何度も何度も、私は自分の状況に気付かされてきました。
それに、ただ笑う、ただ泣く。それだけでも救われる時もあるんですよね。

劇場という場所ほど、色々な想いを抱えた人々が集まる場所もありませんよね?ある人は好きな役者さんが舞台に立ってる姿を観るだけで幸せかもしれないし、誰かは戯曲が届けようとしていることを受け取りたくて脳内フル活動かもしれないし、ただ現実から離れることで救われる人もいるかもしれないし、良い芝居との出会いがその後の人生を変えるキッカケになるかもしれない。この二年弱の中で、劇場という場所を人々は求め続けるんだろうなと、そう確信に近い想いが生まれました。
でも、だからこそ、そうした客席に居る何百人もの人達の想いを受けるに値するものを、初日から千穐楽まで一定レベル以上で届けて頂きたいと、私は一観客として言い続けるのだと思います。そして、それを言うからには、公平に、芝居を観られるだけの目を持てるように努力するのは観客側のすべきことだとも思います。


私が拝見したのは東京公演のみですが、都合3回拝見して、1階前方センターと上手、そして2階とバランスの良い配席だったのですが、この2階で拝見した時が一番、この作品の力を感じたように思います。最初に1階前方で拝見したので実は2階での観劇前、少し心配だったんですね、あの演劇マジックが2階まで通じるのかなぁ・・・と。結果的には全く問題なくて、むしろ全体のフォーメーションも2階の方がよく解るしキャストさん達全体のエネルギーが減衰することなく真正面から届いて飲み込まれました。
御覧になった方々ならお解りになるかと思いますが、あの舞台セット、八百屋なんて可愛いものじゃありませんよね、三次元曲面だし、よく事故も起きずに皆様完走なされたなと思います。上から観てると驚くほどの運動量なんですよね。まぁ、野田さんの作品にはつきものかもしれませんが(笑)



野田さんの戯曲を具現化出来る手練れの皆様が集まって作品を届けて下さって、運よく拝見することが出来て、劇場という場所の意味や存在意義を改めて実感することが出来て、今、自分が「生きている」ことを見つめることが出来て、うん・・・言葉にすると陳腐になってしまうからなぁ・・・自分の心の中にそっと抱いておきます。

今年の冬には「THE  BEE」が上演されるようです。
でも今回は上のプレイハウスじゃなくて下のシアターイーストなのでチケットがなかなか当たりません!(笑) まぁ、根気よく、頑張ります♪