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初任者のときに言われたこと(3/1)

 今から12年前、大学院を修了した僕は教員となった。右も左も分からない僕は、学年主任や周りの同僚に手取足取り教えてもらいながら働いた。その教えてもらったことの多くは今でも教訓としている。中でも特に印象に残っている教えが2つある。

 一つは子どもへの「愛」についての教えだ。初担任で緊張している僕に、学年主任はこのように言った。

「1年後の3月に子どもたちのことを『かわいいな~』と思っていられれば教師として合格だよ」

 もちろん、それだけで合格なわけがない。しかし、あれもこれも完璧にしなければならない、子供を立派に育て上げなければいけないと思っていた僕にとって肩の力が抜けるような温かい言葉であった。初任だからうまくいかないことだらけだろう、うまくいかないときに子供を怒鳴ったり子供を見下したりしそうになるだろう、学年主任はそうなることを見越して、僕にこの言葉をくれたのである。この言葉のおかげで、怒りを我慢できたこともあったし子供の過ちに対して冷静に対応できた。笑顔と温かい言葉を大切にした。また、よくない指導をしたときには、この言葉を思い出し反省をした。子供たちに「愛」が伝わっているか、反省しながら過ごしている。

 2つ目は、「技術」についての教えだ。ある日、体育館への移動中、子供たちが騒いでいたので僕は「うるさい!静かにしなさい!」と叱った。そのそき、隣の学級の先輩が廊下に出てきた。子供たちを叱るのだろうと思ったが、違った。先輩は僕にこのように言った。

「先生の声がうるさいわよ。」

 おったまげた。すっ転びそうになった。大喜利であれば間違いなく座布団1枚である。そうきたかと、感心してしまった。つまり、指導には「技術」がいるということである。この言葉のおかげで、子供(相手の)の視点にたち、その相手にどのタイミングで、何を、どのように伝えたらよいのか、これを突き詰めていかなくてはいけないと思った。「技術」がなければ伝わらないし、指導したことにはならないのである。12年たった今、数々の失敗を繰り返しながら、少しずつ技術を鍛えている。

 教師に必要なことは何か、それは「愛」と「技術」である。もちろんこの2つともに完璧ということはなく、これらは常に関係し合ってる。愛を伝えるための「技術」でもあり、技術を発揮するための「愛」でもある。

 愛はあるか、技術はあるか?

 その愛は相手に伝わっているか、その技術は意味を成しているか?

 そう自分に問いかけながら教師力を鍛えていきたい。と、今は思う。

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