VRに居場所を見つけるってそういう意味だったんだ!
こんにちは、ササニシキです!
私はVRで遊ぶのが楽しすぎて会社を辞めてライター業をやったりしている人で、インタビュー好きが講じてVRで知り合ったダチと一緒に2023年よりYoutubeにて「シルホドスキ」というインタビュー番組をやっています。
そんなシルホドスキでも「現実が嫌でVRに来たら楽しくて今がある」という話がたびたび出ることがあり、私はそういう話を聞く度に「VRとの出会いにドラマがあって羨ましいなあ」と思っていました。
私がどうして「VR楽しい!」になったかと言えば面白そうだから始めたらやっぱり面白い! というだけで、「何となく現実の延長にあるもの」でしかなく、コミュニケーションの面白さとか、それを実現する技術それ自体を面白いな〜と思っているタイプ……
だと、思っていました。自分のことを。
ここ2年くらい、SNS上での生活は実はササニシキとしてではなく、二次創作アカウントがメインとなり、最近では週末はほとんどそっちのオタク達と遊んだり、同人誌即売会にサークル参加したり、フォロワーと旅行するために複数人でエアビーに泊まってホームシアターで映画を観たりしていました。すごい楽しかった。ササニシキであることから離れ、違う名前で生きることがなんて楽しいんだ…! と思って過ごしていて、ある日気づきました。
これ、みなさんがVRChatにハマるのと同じなのでは!?
私にとって、現実もVRも佐藤綾乃もササニシキも同列でありVRChatは夢でもなんでもなく、現実世界が技術によって拡張されただけの世界だったし、フィジカル的には現実ではあるが佐藤綾乃でもササニシキでもない別の名前で過ごす場所が「私にとってのバーチャルリアリティだったんだ!」と気づきました。
同級生や家族ともつながっているFacebookやInstagramも普通にササニシキの名称にしちゃってるし、名刺にも本名の佐藤綾乃とハンドルネームのササニシキを裏表で記載しているし、仕事で使うだろう連絡先のうちDiscordとVRChatのIDはササニシキの名前があります(ちなみにXのアカウント名はササニシキと名乗る前から使っているので普通に佐藤という名称が入っている)。
だからもう、私にとってはTwitterもVRChatもササニシキである以上は地続きの現実であり、そこは夢でもなんでもなかったのでした。
ですが、名前を変えることで同じSNSであっても現実とは違う場所として過ごせたし、そこで新しい交流ができ、なんなら海外旅行先でフォロワーに会うなどしました。私にとってかけがえのない、一生の思い出です。
だから、そうか、皆さんがVRChatに来てここが自分にとっての居場所なんだ! と感じていた気持ちって、自分にとっての当たり前の景色から離れて新しい自分と出会うことだったんだと、ようやく理解できました。
つまり、VRでもSNSでも、名前を変えてどこかの場に身を投じるということは、もしかしたら旅のようなものなのかもしれません。
人類はアフリカ大陸でホモ・エレクトスとして産声を上げて以来、旅をし続けてホモ・サピエンスへと進化・発展してきた生き物です。よって、人類には多かれ少なかれ、旅をするということがDNAに刻まれているはずだと思っています。
新しいユーザーネームやアバターと共にVR空間で過ごすことは実は、新天地を求める途方のない旅の類型のひとつだと言えるのではないでしょうか?
今日はそんな、自分にとっての新鮮な気持ちを書いておきたくてnoteを書きました。以上です。読んでいただき、ありがとうございます。