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『スターウォーズ エピソード7 フォースの覚醒』感想(2015/12/19)

この記事はもともとfacebookに投稿していた感想文を加筆修正してnoteに転記したものです。
“スカイウォーカーの夜明け”を観終わった後で、「たしか“フォースの覚醒”のときに感想文を書いたよなあ」と思い出して読み返したところ、かつてのわたしはこんなことを考えていたのかと、ノスタルジックな気持ちになって面白かったのでnoteに残してみようかと思い至った次第です。

1.“聖地”日劇にて

公開2日目にあたる2015年12月19日土曜日のこと、“フォースの覚醒”を観に、日劇へ行きました。
公開初日ではないものの、さすが日劇。スターウォーズが大好きな人たちで埋め尽くされ、各々がローブをひらひらさせながらロビーを歩く様は、さながら在りし日のジェダイテンプルのよう。ライトセイバーを抜いて写真撮影したりと“お祭り”を楽しんでいました。
私もコスプレはしないがそのくらい舞い上がっていました。何しろ待ちに待ったスターウォーズの新作の公開なのです。

2.封切りまでの葛藤

スターウォーズが実は9部作で、旧3部作はそのエピソード4〜6にすぎないと聞かされてからエピソード1〜3の公開があり、エピソード3の時点でルーカスが「スターウォーズは6部作とする」と宣言したのでもう続編は見られないと覚悟していたにも関わらず、2012年にディズニーによってルーカスフィルムが買収されて、エピソード7〜9の新たな3部作の制作をすると発表があってから、3年の月日が経ちました。その発表は多くのファンに良くも悪くも驚きを与え、3年の月日をかけて“覚悟”をしてきました。
まずジョージ・ルーカスの手を離れた事や、世界一の企業とも言えるディズニーの傘下に入ってしまった事への不安。
ディズニーは嫌だけど、ジョージ・ルーカスを盲信する事も出来ず、誰が監督なら納得行くのか…。

こんな事ならいっそのこと6部作のままでよかったのかもしれないという畏れと、新しいスターウォーズを観られるという希望が入り混じって、結局のところ舞い上がっていました。

3.ファントム・スターウォーズ

新たな三部作“シークエル・トリロジー”に対する畏れからか、私は“フォースの覚醒”を観ながらにして従来のスターウォーズの亡霊に悩まされていました。
そう、過剰なまでのオマージュに疲れてしまったのです。
結局クスリときてしまう場面も多いのですが、その過剰さといったらただの焼き直しといっても過言ではないくらいだと感じてしまいました。
確かにハン・ソロが動くとスクリーン全体がイキイキとしだすし、旧キャラクターが絡むシーンはどこも面白かったです。
しかし、わたしには新キャラクター達の個性や魅力をあまり感じる事ができず、ストーリーも色んな話がそれぞれ引きがありすぎて、盛り上がる前に終結してしまったような。 そんな印象を受けました。

おかしい、私がスターウォーズを観てこんな気分になるなんて

エンドロールが終わった後で私は自分で自分の気持ちに驚きました。
そうしてやっぱりルーカスが偉大だったのでははないか、とかJJは新しいスターウォーズを産むには値しない人物じゃないか、といった考えが矢継ぎ早に頭の中を巡ります。
わたしは一日かけて、スターウォーズを否定したくない一心で、「フォースの覚醒で良かったところ」を考える事にしました。

4.フォースの覚醒の良いところ

まずスターウォーズの世界観のひとつとしてとても重要なファクター“宇宙の辺境で荒くれ者のエイリアンや謎のドロイドなどが埃にまみれながら、なんとかギリギリで生きている光景”は凄く良かったです。
“ジェダイの帰還”の30年後が舞台なだけあって、帝国軍の兵器などが古ぼけて放置されて廃虚となっている様子が観られて、そんなのそそられるに決まっています。

またカイロ・レンのフォースの使い方は今までのシスを踏襲しつつも、新しい試みがあってかっこよく描かれていたし(若干笑える部分もあり)、ライトセイバーも今までない禍々しいデザインで、中2っぽさが実に“らしくて”良い
あれをトレーラーで初めて観た時は「よくもこんなダサいデザインを考えたなあ」と思っていましたが、不安定な光刃のエフェクトは実際にスクリーンで動いている所を観ればかっこよかったです。

そして主要の3人のキャラクター。
家族を待っていると言って運命から逃げるレイ、人殺しはもううんざりだとファーストオーダーから逃げるフィン、偉大な両親(銀河の英雄、ハン・ソロとレイア姫)の息子という重圧から逃げるカイロ・レン。
皆それぞれの何かから逃げていて、葛藤する姿はとっても等身大な若者らしく、人間臭くて良かったです。
そんな悩める若者達が、色んな荒波に揉まれまくったハン・ソロなどの旧作のキャラクター達と出会い、刺激を受けて成長する姿こそが“新世代のスターウォーズ”なのだと思うとなんと感動的なエピソード7なのかもしれない、とまだ見ぬエピソード9の観劇中に咽び泣く自分を妄想したら、なんだか泣けてきました。

5.オマージュが仕掛けになるという憎いトリック

オマージュのコラージュとも言える作品作りは、ファンへのサービスを通りこして媚びているんじゃないかと真っ先に不信感を感じた点ですが、よくよく考えればオマージュに気づくのはファンだからこそであり、「このシーンはあのシーンへのオマージュだなあ」と感慨にふけっていると不意打ちすぎる展開に驚いてしまうという仕掛けがあります。
オマージュに気づけるファンにこそ「そうくるって事はこうなるんだよね」と思い込み、その隙にこの仕掛けが効くのだとしたら、「JJはまさにスターウォーズの新作として、最高の作品を作ったのだ」とようやく思えたのです。

そう思えるまでに丸1日かかりました

6.さいごに

わたしは映画として◯部作である事を前提とした作りはあまり好きではないですし、ちゃんと一作一作で完結したエンターテイメントであって欲しいと思っているので、いろいろ突っ込みたい所はあります。

ですが、スターウォーズが3部作であることは世界中が知っている事であり、期待しているものなので、文句を言うのはお門違いなのかもしれません。
そして、“フォースの覚醒”を観せてくれたJJに対して何ひとつ不満はなく、早くエピソード8が観たいと思うばかりです。
とりあえずあと2回くらいは“フォースの覚醒”を観に行こうと思います。

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