參天台五台山記読記002

十六日(丙申)
寅時。依有東風出船上帆。無幾有西風。船還著本泊了。卯時後夜經第一卷。如意輪供。海邊男女頻來賣買。終日閉戶極以難堪。午時日中經譬喻品。如意輪供。(【考】供字,諸本缺,但松雲閣三本傍有供字。今據原本)申時文殊供。船頭杪剳等(【考】等,松學兩本作十,非也)以鷄酒祭諸神。燒紙錢幡讀祭文。其後酒宴五六日。度雙六興宴。(【考】興字,雲本缺)戌時初夜經第二卷了。如意輪供。每日念聖觀音呪一萬遍。風天真言一萬遍。祈乞海安。

十七日(丁酉)
天晴。卯時後夜經第三卷。如意(【考】意下,雲本朱加輪字,下同)供。辰時邊(【考】邊上,閣本注加海字)人來集。閉戶絕聲。午時日中經第四卷。如意供。申時文殊供。戌時初夜經第五卷。如意供。依無順風。猶在壁島。

ノート:
船が出航しようとすると、不運にも西風が吹いており、船は壁島に停泊し、待機する日々が続いている。海辺に住む人々は、船が停まっているのを見て、生活必需品を売りに寄ってくることだろう。航海のために、お米や日持ちする菓子などをたくさん備蓄しているのは当然だが、野菜や新鮮な魚などの栄養価の高い食品は船員にとって歓迎されるだろう。この地域の人々との商売を無視することはあり得ない。実際に、船が停まっていることで多くの人々が訪れ、にぎやかな集まりになっている。船頭が異国の品物を見せびらかしたり、地方の大名に仕える武士が背伸びして舶来品を購入する光景も考えられる。

外部から今の所在を見られるとまずいので、隠れた一室に引きこもり、お経を上げることすらできなくなるのを我慢しなければならないのは、今回、入宋を志した日本人僧侶の一行である。密出国が発覚されたら、とんでもない罪になるだろう。折角、三井寺の明神から神託を受けて出発の準備をしたのに、と眼前の不便を我慢している若い僧侶もいるはず。

宋人の信仰形態についても、本書に少し触れている。「杪剳」と書いたが、北岩倉大雲寺成尋渡宋巡礼記に記された「抄剳」の方が正しいではないか。これは書記の意味で、船頭が雇って船の会計を担当する人を指す。つまり、貿易船の共同所有者やスタッフが、一般庶民らしく神々に祈りを捧げた。彼らは鶏を捌いて、酒を用意し、諸神に無事を祈った。「無事に到着しますように」と。また、あの世へ賽銭を送り込むため、紙銭や紙幡を焚いたりした。もちろん、その趣旨を伝える中国語文言の祭文を読み上げた。この重要な儀式が終わると、豪華な酒宴を設け、さらに5、6日を過ごした。また、北天竺から伝わり、曹操の次男である曹植が改造して何世紀にもわたって庶民の間で広まった双六の遊戯に興じていた。そのような賑やかな場面を想像するだけでも面白いね。

風天(Vayu)


入宋を志願した僧侶たちの修行状況も詳しく書かれている。彼らは日常的に法華経の諷誦や文殊供、如意輪供などを行い、また海路の平安を祈るために観音呪や風天真言を念じた。風天とは、インドの信仰で風の神Vāyuを指し、中国では鳥の形をした飛廉が風神とされる。

飛廉

出国の日が迫っている時、僧侶たちの緊張感は言葉にせずとも伝わってくる。待機の時間を活用し、寝る時間を削って中国語や修行に励むことを願っていることだろう。この機会は二度と巡ってこないから。しかし、地元の漁民や小侍が訪れ、修行を中断する状況になることもある。真っ暗闇の中で、心の内で黙々と祈りを捧げ、法友たちの肩を叩き合って励まし合う人々こそが、真の仏教信仰に目覚めた人たちと言えるだろう。

映蘆軒







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