修行の形態ーー行道から補陀落渡海まで

行道
◆窟籠り→修行者小屋→留守居が住職化→現在の寺
○空海が室戸岬で修行した。
○円空が伊吹山の平等岩で行道した。(行道岩がなまって平等岩にもなったか。)
○徳本上人(周囲500メートルの山を30日回った。休んでは行けない。中国の般舟三昧に似ている?)
○1884(M 17)年、林実利(じつかが)が那智の大滝から捨身入定した。(radiojpトークあり)
◆入定というが、海に入って死を選ぶことを意味する。
⭐︎江戸時代は文化や政治が頽廃する一方、宗教においては非常に復古的だった。窟籠り、木食、行道をする坊さんが出てくる。

補陀落渡海
○『とはずがたり』には二人の修行者が補陀落渡海したことを書いた。
○木食、断食の末に死んだ人が水葬される。
熊野の場合も水葬と考えたほうがいい。

火を焚く修行
⭐︎辺路の寺には竜灯伝説がたくさん残っている。柳田國男がお盆の高灯籠を上げるのが竜灯伝説のもとかと論じられたが、海のかなたの常世の祖霊あるいは龍神に火を捧げていた風習から、仏教の流行について、龍神が海に面した霊仏にお燈明を上げるように変わったではないか。
⭐︎辺路信仰の本質は、海のかなたの常世にとどまっている祖先の霊に、聖なる火を捧げるということだ。(そういえば、夜の珠江のほとりに火を焚いて祖先を祀る行為は2023年の今でもよく見られるが、その呪い的な行事で祖先の霊を鎮めたいのは中国も日本も通じているということだよね。)難破船など船を安全な航路に導くのはその本意外の役目なのだ。
○焼山寺(12番札所)の柴灯護摩
○金刀比羅の常夜灯
○淡路の千山千光寺の常夜灯
○犬鳴山七宝滝寺の上の燈明岳の火
○磐城平、即いわき市の閼伽井岳にある常福寺の龍燈(水戸光圀が見物しに行ったことさえある。イカ釣りの火ではないか。トビが太刀魚やサンマを咥えると光って見えるそうだが。)
○志摩の青峰山(青峰山の十一面観音を念じると、その火がぽっと出て船を安全に導くと言われている。)
⭐︎弘法大師信仰の対象になる弘法大師は、実在されたひとりの人間としての弘法大師空海とはやや違う。

空海が24歳に『三教指帰』を著した。
○善通寺(父佐伯善通の名によって名付けられたお寺)で生まれる。
○18歳、槐市(奈良?の大学)に出る。
○一沙門(勤操?それとも無名の別の人物?)に求聞持法を教わり、阿波国の大滝岳(21番札所太龍寺)と土佐の室戸岬で虚空蔵求聞持法を修する。火を焚いて修行を行う。

海と関わりを持つ修行

⭐︎出羽三山に参詣する人は、海岸に出て、海岸に青竹を立てて、しめ縄を張って、海に入って身を清めないと、本当の出羽三山のお参りにならない。お賽銭も磯で磨いて、汚れを落としてから山のお寺にあげるのは正しい。
○月山でお盆のときに大きな火を焚く
○京都で五山の火(海から見えないかも)
○朝熊山の火
○函館の帆越岬(海の難所の帆越岬で重要な目印になる。)
◆円空はここの太田権現の窟に籠って仏像を作ったが、後に仏像が焼失された。
◆木喰行道もここに来て立木仏を作った。
◆円空の活動した記録が菅江真澄の日記に残された。





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