参天台五台山記読記015
十四日(癸亥 )
午時,潮滿,人人多來,開河中門戶,入船,上河數里,又開水門,入船。大橋兩處皆以石為柱,并具足物,以貴丹畫莊嚴。申時,著問官門前,見都督門,如日本朱門,左右樓三間,前有廊并大屋向河懸簾,都督乘船時屋也。官人乘輿,具五六十眷屬,出入大門多多也。七時行法了。
ノート:
午後、潮位が上がり、多くの見物人が集まってきた。当時の状況は詳しく分からないが、川の中に門のような構造物があったようだ。おそらくそれは水門のことを指しているのだと思う。その水門を開けて、船に乗り、川を数キロほど遡った後、再び水門を通って船に戻った。
大橋は2か所架かっていて、その柱や装飾部分は石造りで、麗しい絵画が飾られていた。
申時に、問官門の前に着いた。問官は、罪案の審理を担当する役人のことを指している。詳しい情報は見つからないものの、他の文献では「問官門に囚われる」といった記述が確認できるため、ここでの問官門は犯罪者などを管理する役所を意味しているものと推測する。
そこからさらに、都督門が見えた。越州は州の中でも最高の都督州格の大州で、その長官を大都督または刺史と呼んでいた。その都督門は、大都督の官邸もしくは城門の入り口にあるものと思われ、日本の朱雀門に似たような外観だったということ。つまり、奈良の平城宮を取り囲む築土塀の正面にある朱雀門に似たイメージだと理解できる。
その都督門の右左には、それぞれ三間の楼があった。楼の前には回廊があり、川側にはひさしが設けられた大屋があり、ここが都督の待合室に当たっていた。役人が輿に乗って出入りする際は、五六十人もの随員を従えていたそうで、かなり派手な様子だったようだね。キンペイさんのような雰囲気とそんなに変わらないかもしれない。
そして七時に、修行を無事に完遂した。