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參天台五台山記読記006
廿六日(丙午)
天翳。不知東西。不(【考】不,雲、松、學三本作未)出船。巳時天晴。依無順風以艫進船。申時著明州別島徐翁山。無人家。海水頗黃。西南見楊山有人家。三姑(【考】姑,閣本作始,注改姑)山姑(【考】姑恐衍)相連有人家。將著徐翁山間。北風大吹。騷動無極。殆可寄巖石。適依佛力。得著別島宿。諸僧皆醒。如死亦蘇。
ノート:
暗闇に包まれ、方角が分からなくなったため、しばらく船出を控え、待機することにした。朝遅くなり(9時〜11時)、ようやく晴れ間が広がったものの、順風に恵まれていない。手漕ぎで船を進める。
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申時頃(15時〜17時)、明州の離島徐翁山に到着。現在は徐公島という。当時はまだ無人島だったようだ。宋代以来の地方誌にこの島がしばしば登場し、清代になると、帳房山、徐貢山と表記される場合もある。交通の便が悪いこの島では、住民を別の地に移住させていた。一方で、シンガポールの資金を背景に、プレジャーボート、ゴルフ場、五つ星ホテルなどの開発計画も進められていたが、なぜか途中で頓挫したままの状態となっていた。おそらく、水道、道路、電力など、基本的なインフラの整備や、台風被害の際のメンテナンス費用がかさみ、採算が取れないため、結局開発計画を断念したのだと考えられる。
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陸地から水が流れ込んでいたため、海面は黄色がかった濁った様子を呈していた。その西南方向に楊山、三姑山が見え、人家が並んでいたという。現在では、大洋山、小洋山と呼ばれているのがその山々にあたると考えられる。両山は浙江省の崎嶇列島に属しており、上海に最も近い島々の一つである。古くから海防の要地として重要視されてきたが、現在では嵊泗列島の一部として、旅行客の憧れの地となっている。例えば、アリババ系の飛猪旅行サイトでは、上海発の169元の格安ツアープラン(2024年4月時点)が人気を集めているようだ。
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成尋たちは徐公山に宿泊したかったが、強い北風と荒れ狂う波により、ほとんど岸壁に接岸できない厳しい状況に置かれていた。しかしながら、不思議な仏力によって、別の島に無事に着陸し、宿泊することができた。連日船酔いに苦しんでいた坊さんたちも、まるで死から蘇ったかのように、快復したのである。