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辺路雜記

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#辺路

修行の形態ーー行道から補陀落渡海まで

行道
◆窟籠り→修行者小屋→留守居が住職化→現在の寺
○空海が室戸岬で修行した。
○円空が伊吹山の平等岩で行道した。(行道岩がなまって平等岩にもなったか。)
○徳本上人(周囲500メートルの山を30日回った。休んでは行けない。中国の般舟三昧に似ている?)
○1884(M 17)年、林実利(じつかが)が那智の大滝から捨身入定した。(radiojpトークあり)
◆入定というが、海に入って死を選ぶことを

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海の修行と海洋宗教の跡

◆海辺の修行者
・南菩薩=永興と同行禅師
・那智の応召法師(焼身自殺=火定した)←海の修験の焚身や捨身に当たる
・雲浄法師(志摩国碞洞に宿す)(《本朝法華験記》)
・天王寺の坊さん(熊野に通った)(《今昔物語集》)
・辺路修行をする園城寺は寺門派という。園城寺の開山の智証大師は海の修行をしていた。寺門派が聖護院という修験道を生み出した。
・遍路修行をする比叡山は三門派という。
・白河上皇の熊野御幸

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