好きになれそうな自分を演じる
※366日間チャレンジ、168日目。
自分らしさとか、自分の素の姿とか、そういうことを考え始めると、最終的によくわからなくなる。
本当はこうありたいのにこうじゃない、自分で自分が好きになれない。
そんなことがあると、人は、好きになれそうな自分像というものを作って、それを演じ始めることもある。
自分自身の心も、巧みに騙す。
脱力系の、力みのない、頑張っていない自分がいい、と思うと、ちょっと抜けてて、人と競わなくて、すぐお腹を見せるような、人より劣っている自分を演じる。
それが素のふりをする。
そういうことが起こったりするので、自分の本音とか、本当の自分とか、素の、ありのままの自分とかいうのが、ちょっとよくわからない。
ただ、体は嘘がつけない。
嫌だとか、これが好きとかは、体は嘘がつけない。
だから、脈を見たりすると、自分が本当はこれが嫌なのか?あるいは好きなのか?
そんなことが簡単にわかってしまったりする。
できれば自分に嘘をつかずに生きていきたいけれど、たとえばそれがどうしても社会で受け入れられないとか、身近な人を傷つけてしまうとか、自分自身を傷つけてしまうとかだと、そういう自分は出したくない。
出したくないから、出さない。
そういう風になっていく。
だから、本当の自分とか、あまり突き詰めて考えないようにしている。
考え出すとキリがないから。