月末に神様カードリーディングできるのが嬉しい
※366日間チャレンジ、121日目。
私の扱っているサービスに、
『月末に、翌月の開運アクションをカードリーディングしてお届けする』というのがある。
(締め切り後のリンクですみません)
これ、翌月のその方の運気の流れなどを、『日本の神様カード』を使って、読み解いていくのだけど、それぞれの神さまたちからの励ましのメッセージとか、ポジティブなヒントとかが来て、あたかも、その方の翌月を寿ぐような気持ちでさせていただけるのだ。
その方の、その月が、豊かで幸せなものになりますように。
その方のお心が、人生が、学びに満ちた楽しいものでありますように。
ひとことではとても言い表せないけど、『光』のようなものが頭の中にいっぱい広がって、こうなります(ように)、みたいな気持ちになる。
きっと、『ことほぐ』の語源って、本来、そういうことだったと思うのだ。調べればいくらでも『寿ぐ』の由来は出てくるけどね。
『こうなりますように』と呪うような意味合いでは全くない。
『◎◎になってください』みたいな型にはめるような重苦しいものでもない。
(最近、『お幸せに』みたいな言葉も、押しつけとか押し売りみたいに感じて不快だという人もいるらしいから、誰かの幸せすら祈りにくい世の中になってめんどくさいなあと思ったりもする。私は、『お幸せに』の代わりになる言葉を、まだ見つけていない。どう言われたいか教えてほしいくらいだ。)
とにかく、その、光、みたいなものに心の中で触れられるのが、本当にありがたいのだ。
誰かの幸せのようなものを祈れるのが、本当に嬉しい。
ありがたい。
きっと古の人たちもそうだったんだと思う。
先のことなんて誰にもわからないから、自分にできるのは祈りくらいしかない、そんなことたくさんある。
それは昔も今も変わらない。
幸せになってと祈ってなんて欲しくない、という人もいるだろうけれど、誰かが自分の幸せを祈ってくれていると思うことが力になる、という人もいる。
私は、生きるのが苦し過ぎてもう生きるのをやめたいと思う時に、あの人が私の幸せを祈ってくれていると思うだけで、やっぱりもう少し生きてみよう、と思ったりする。
その時の『幸せになってほしい』は、決して重いものではないし、型にはめようとするものでもない。
純粋に、生きる力を与えてくれる、光のように形のないものだ。
文化や時代を超えて、人の中に存在するものなのではないかな、と思う。
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