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『自分』の話をするのに『みんな』の背景はいらない

※366日間チャレンジ、229日目。

明後日のMCD(ミライフ・キャリア・デザイン)最終プレゼンのための資料提出期限を今日の23:59に控えて、今日は資料作りと発表の練習(時間制限があるため)に結構な時間を費やした。

最初に私が仕上げたものは、制限時間5分に対し、スライド19枚、発表時間15分というトンデモ大作だった。
伝えたいことを全部入れたら、そんな尺になってしまったのだった。

そこから1/3に削るとなると、だいぶ要らない内容があるということだ。
さらに頑張って、スライド12枚、5分10秒まで削った。
まだ多い。

そこまでやってみて、今日、ハタと気づいた。

そういえば、
「自分のことを話すプレゼン」
にしなさいね、と、スケさん(ミライフ代表)もラッチさん(メンター)も言ってたな・・・

私の資料の中には、私のことじゃなくて、私の同世代の女性の声とか、世代の背景とか、私以外のことがたくさん入っていて、私自身の思いは最後の2枚しかなかった。

そっか、そういうことか・・・。

私は、自分のことを言うのが、怖くて、はぐらかしていたんだ。

私はこう思っています、と、言い切れていないんだ。

「私はこうです」と言い切るだけの、肚をくくれていないんだ。

何をカッコつけているんだ、ここまで来て。
『みんな』を出せば『自分』を隠せる、『みんな』の影に『自分』は隠れることができる、と思ってるのか。

『自分』のことを話せる、滅多に無い5分間をもらえているというのに。

そのことに気づいたら、あとは早かった。

データのスライドを全部消した。
誰が言っているのか曖昧な意見を箇条書きにしたスライドも全部消した。
自分の思っていたことと、自分が体験したことと、自分が聞いたことと、自分が気づいたこと、だけにした。

そうしたら、やっと、5分以内におさまった。

テレビ局時代も、放送部長によく言われていた。

「あんた、思ってること1から100まで全部言わないとダメだと思ってるべ?」

今もそれをやってしまっている。
もうそれが自分なのだから仕方ない、と諦めている、受け入れている部分もある。

でも今回、気づいたことがある。

自分を語るのに、『みんな』という、隠れ蓑のような背景は要らない。

全部削ぎ落として、『自分』のことだけ話せばいい。

ここまで肚をくくれたのは、久しぶりな気がする。

『残り10秒』を削るために、私は、『私の意見なんかより、みんなの思いとか世代の背景とかを優先すべきだ』『私の意見なんて価値がない』という卑屈な気持ちを、手放すことが出来たのかもしれない。

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