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花はそこにあり、そしてそこにはない、ということ
※366日間チャレンジ、243日目。
人は外側にあるものを器官を使って脳の中に情報として取り込み、脳の中でそれらを再構築して
「外側ではこういうことが起こっているらしい」
ということを考えながら生きる動物である。
だから、盲点というものが生まれるし、同じものを見ていても脳の中では全く違うものと情報のミックスされたものが出来上がっている。
なので、事実なんてものは非常に曖昧で、何が本当かなんて人には理解することはできないような気がする。
舞台をやっていた時、
「舞台というのは、人の脳の中にしか存在しない
今目の前にある舞台は、人の脳の中で完成されるのを待つ、未完成のものだ
人の脳の中で初めて完成するのだ
舞台はここにはあるけれど、ここにはないのだ」
と思っていた。
観る人ひとりひとりの、事情があり、背景があり、過去があり、体調があり、いろんなものがあるので、その時のその人の頭の中に生まれる『舞台』というものは、観た人の分だけある。
同じ映画でも、観るたびになんか違った印象を得たりするのと、似ている気がする。
なので、この世のものの全ては、そこにあると同時に、人の頭の中にある。
トップ画像のサルスベリの花も、きっと観る人によって全く違うものが見えているんだろうなあ、と思う。
私も、ここにいて、そしてここにはいないのだろう。
私が思っている私と、私以外の人が思っている私は、全然違う人物なのだろう。