学びに行くのって楽しい
※366日間チャレンジ、162日目。
ミライフ・キャリアデザイン(MCD)9期生になってみて、本当に、普段の自分の世界と全く違う場所にいる人たちと会う、話す、学ぶって、めちゃくちゃに楽しいなーと実感している。
あちこちで言われているし、知っていることだけれど、
『コンフォートゾーンを飛び出す』
って、めちゃくちゃ学びがある。
今回は特に、課題図書があったりして、普段自分が全く読まない本を読み、それを軸に話をする、みたいな、何年ぶりだろこういうの、ということに取り組んだりしているので、本当に楽しい。
読んでそこでおしまい、となる通常の読書体験が、そこから先につながって、自分とは違う属性の人たちと感想をシェアしたりするのが、いつもの自分の生活軸に存在しないことなので、めちゃくちゃ刺激になる。
下手したら大学時代ぶり・・・?いやーめちゃくちゃ楽しい。
あと、無意識に自分がどのようなことを『よし』としているか、みたいなことも分かる。
例えば、先日はMCD参加者全員がこの『幸福度診断』を受けたのだが、
この結果について自分がどう捉えているかなどのシェアの時に、
「無意識に『幸福度が高い方がいい』と思ってしまう、
逆に言えばスコアが低いことに対して『よくない』と思ってしまう」
ことに気づいて、違和感を感じた。
いやこれ、別に、幸福度が高い方がいい、えらい、低いのがよくない、というわけじゃないのに、なんだか無意識に、良い成績を取ろう、高い得点を取ろう、高い得点を取っている人が良い、低い得点は恥ずかしい、みたいになっちゃうのだ。
そんなこと、全然ないのに。
しかも、それって私だけじゃなくて、その場にいた全員がなんとなくそんな感じになってしまうのが、これまた不思議だった。
自分が資本主義的に最高に近いパフォーマンスをする(一番お金になる稼ぎ方を長い期間継続する)ために、ずっと幸せでい続けることを強いられるというのは、なかなかにディストピア的で、デンマークに行った時にそれを感じたのだけど、人間には、不幸になる自由も、なんの生産もしない自由も、なんかいろんな自由がないと、しんどくなるのかな、と思う。
とはいえ、だよなあ・・・人間の全ての自由を認めるっていうと、今度は法を犯す自由だの人を不幸にする自由だのいう話が始まったりするからなあ・・・極論そっちまで行っちゃうんだろうなあ・・・。
『ありのままの自分』議論もあるんだよなー。
結局は人に喜ばれる、好かれる、受け入れられる『ありのままの自分』を取捨選択したり演じたりするようにしなければいけないっていう、これまたなかなかに息苦しいやつ。
そういう、普段考えもしないことを考えられるのが、ほんと面白い。
考えて胸糞悪くなるようなことも思ったりするわけだけど、面白いんだよなあ。
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