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陸上競技との関わり①


今日も昔話をだらだらと書きました。陸上の話。
小さい頃からオリンピックマニアだが特に陸上が面白い。ちょっとした経験者だからこそ分かる駆け引きやペース配分の難しさ。

ミーハーなので織田裕二と同じく、昔からアリソン・フェリックスのフォームが好きだ。とにかくカッコいい。爽やかに飛ぶように走る姿に憧れる。そして可愛くて華がある(笑)

全盛期の頃のAllyson Felix


今年の世界陸上で100m女子で金メダルを獲得したフレイザー・プライスも凄い。身長152cm?で10秒68。160cm未満でこの記録は男子含めて世界にほどんどいないだろう。ファッションもジョイナーを超える派手さ。

私は、虚弱体質で球技も泳ぎもスキーもドンくさい。ただかけっこだけは遺伝的に小さい頃から得意だった。超が付く田舎なので全く自慢できないが、小中の9年間で運動会や町内学校の合同体育祭の100m、200m、400m、障害物競走では全て一位。小5から駅伝にも出始め、中学校3年間では陸上部に所属し、けっこう真剣に取り組んだ。中1で100m13秒2を記録して、ここから毎年伸ばしたらオリンピック出れるかもとマヌケなことも思ったが、その後すぐ身長が止まり、身体も壊して伸び悩んだ。パワーでは勝負にならないので、中2の途中から我慢比べの400m中心に変更した。

中3の時の郡内大会では、400mを走って、1位になった。その時に気づいたのだが、自分はスピードも体力もイマイチだけど、400mでけっこう大事な要素であるペース配分の能力があることに気がついた。あらかじめ想定したペースの通りに走って自分の持つ力を出し切れる能力。オリンピックでも最初にペースを上げ過ぎて後半へばってタイムが伸びない選手を見かけるけど、これも持って生まれたものかも。

余談だけど、この大会では私にとって苦い思い出がある。選手宣誓を指名されて、その日前に出て「宣誓!」と言ったところで、どこかの女子が「ちっさ!」と叫んだ。選手宣誓に当たるのは背が高い選手を想像してたのか。「悪いね、うるさいよ!」と心の中で呟いたがなんとかとちらずに最後まで宣誓できた。

それで県大会に行ったのだが、一緒に行った同級生のソフトテニス(当時は軟式)の2人が悪かった。旅館に泊まれたのがよほど嬉しかったのか夜通し騒いで私を寝ささない。どうせ田舎者が県大会で通用するはず無いと思ってたので気にしてなかった。ところが、走る直前にどこかの監督が私を見て「優勝候補が来たな」と。聞けば私は県内ランキング3位だと。監督早く言ってよ!知ってたら昨日も寝たのに。で、ほぼ一睡もしていない中で、しかもランキング1位2位が同組の予選でギリギリ敗退。まさに後の祭り。

それから数ヵ月後に四国西南陸上大会でリベンジの場があった。しかも例のランキング1位2位の選手が出ないらしい。これが400mを大会で走るのは多分最後だからなんとか一番になりたい。身体を壊して以来体力が無いのでなるべく予選は楽をしたかったが、予定通り走れて決勝へ進出できた。

決勝走る直前に皆が予選のタイムを話したが、私がかなり遅くて笑われた。よし油断したなと思って、決勝ではセコイ作戦を考えた。それは先行逃げ切りの変則版。400m走といっても田舎なので200mトラックでレーンが分かれない試合なので、駆け引きが通用する。なのでこのセコイ作戦が通用すればいいなと。また体力が無いからこの作戦でないと優勝できないと考えた。
・まずスタートで予定通り先頭に出る。
・最終コーナーまで抜けない程度のスピードで先頭を譲らない。
・最終コーナーに入ったところで一気にスピード落とす。少しだけ膨らんで
 抜けそうで抜けないように走る。体力の温存にもなる。
・カーブを抜けると同時に全力疾走。100mの選手でもあったのでラストス 
 パートはこの中では早いほうだろうとの予測。
まあこのセコイ作戦で優勝した(笑)。最終カーブで遅くなった私に悲しそうな顔して叫んでた監督も喜んでくれた。他の選手達はムカついていただろう。申し訳ない!セコかったとはいえ、このテープを切った瞬間の気持ちよさは、今でも人生で一番かも。

この大会の優勝で県内有数の私立高校からも誘われたが、即断った。身体を既に壊していたから高校で陸上したら死ぬかも、後貧乏なので例え授業料免除か減額されても生活できない、それと男子校なんて絶対嫌だ(笑)
陸上は冬の駅伝大会を最後に離れることとなった。その後身体は弱ったままで、今でもマラソンどころかジョギングもできない。ゆっくり走っても1kmが限界。中学生で真面目に陸上をやってなかったらもう少し元気だったかもしれないが、いい思い出もできた。3年前に80歳過ぎた当時の監督に会いに訪ねると、めちゃくちゃ喜んでくれたのも嬉しかった。

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