海外行きまくることの意味、ありふれたもの
スマホから距離を置く
ふとしたきっかけでスマホから少し離れてみようかと思った。
きっかけの大きなことの一つにクラブハウスというSNSが発達したことがある。みなさんはもう始めただろうか。
とにかく音声SNSと一言で言える。他人が飲み会してるところに土足で踏み入ったりもできるという感覚だ。
うかつに入ってしまった部屋できつい思いをしてしまうこともある。そんなSNSだ。
繋がり感、スマホがくっついて離れない
クラブハウスを初めて感じたこと、それはスマホが手から離れないということだ。始まったばかりということもあるが。
とにかく気持ち悪くなった。もともとスマホ中毒というほどスマホを使用しているが、これは違う、もっとやばい領域に入りそうと思った。
だから、スタバにノートPCだけ持ってきて書いている。これだけでも心がだいぶ楽なもんだ。いきなり全て断ち切るのはあんまり勇気なかったからとりあえずスマホをおいてきた。うん、なんとなく気持ちが良いかもしれない。
残酷すぎる成功法則を読んで
さて、そんな環境下で本を四冊ほどスタバに持ち込み気がついたことが出てきたので書いている。
残酷すぎる成功法則 皆さんは読んだことがあるだろうか。
一言でいうと自己啓発の内容を研究で検証してみよーという本だ。
その最初の方に書いてあったことなのだが、外れ値の人はとにかく良いらしい。学校は決められたことをうまくこなす場所であり、何かを生み出す場所ではないと。
今なら当たり前だが、そうかもしれない。僕も教育大学に属している身分だ。他の人より教育に携わる時間は長いはずだ。
そこでふと思った、海外に行きまくるの、自由なのか?それともなんとなく自由なイメージがあるだけでありふれているのか。
海外に行かないと自由になれないのか?などなど。。。
とにかく考えたがなんとなくの結論が出た。
その後の人生がどれだけ輝くか
この点が重要なのではないか。勿論、違う国に行きまくるということ自体やっているそもそもの人の数が少ないからレアだろう。でもその後だ。その後が大事なんだ。
人は鏡だ。だから違いが生まれる。だからおもろくなる。だから人はおもしろい。同じ人間なんて、つまんなくね?
でも、スタバでMacBook使ってこの文章を書いている自分も間違いなく量産型。それは知っている。
海外に行くこと。それも素晴らしい。でもそれより素晴らしいのは、行ったあとの人生に影響を及ぼすことだ。そして、及ぼされた姿だ。そこが大事だ。それが重要だ。
僕だって今日小さなチャレンジをした。そう、スマホを置いてスタバに来てみたんだ。大事だ。この行為自体も新しいことだし、とてもおもろい。
でもそれ以上に大事で尊いのはこのあとの行為だ。この後の人生だ。このあとの瞬間だ。
僕はなんか楽しみだ。スマホを離してこんなワクワクする日が来るなんて!(海外作者の自己啓発本か)
気が散る
とりあえず思ったのは気が散るということだ。
一応PCとイヤフォンは繋げるが、とにかくめんどくさい。だからやらん。まぁ今はとにかく衝動的に書きたくなってPCを開いたけど。書き終えたらすぐにしまおう。
近くに気になっている男女?同士の会話が聞こえてくる。本当に気が散ってしまう。
でも数分すればもうそれはそこの風景の一つの要素でしかなくなる。大きな声で離している外国人の声も。注文された商品を渡す店員さんの声もBGMになる。
なるほど、いつもノイズキャンセリングのイヤフォンをしていたがキャンセルしないことで感じる世界もある。これはいいことだと思う。
継続してみる
少し続けてみよう。このスマホ離れいいな。たま〜〜にで良い。PCさえも持っていかない日も作りたい。
なにかが変わるはずだ。少し変える。その後少し変わる。その変化を楽しもう。