私が生まれてきたわけ
今から40年前1983年。
ディズニーランドができ、ファミコンが発売された年の5月1日に私は誕生日しました。
私の父は、一町三反持つ米農家。本家の長男として生まれ、農業高校を出たあと、農家のコネで地元の農協のガソリンスタンドで働いてました。20歳の時に体を患い大きい病院で手術。その後家の近くに新しくできた病院へ通院してました。
母はは共働き家庭の姉妹の三姉妹の末っ子、地元の商業高校を出て。成績の悪かった母はなかなか就職が決まらず。母の姉(長女)が2歳で出直してずっとお墓がなくて、墓地を買いに親とついて行った先にいられた方が開院するとのことで、受付スタッフとして働くこととなりました。
2人が出会ったのはその病院。
受付と患者。
隣の地区(同じ小学校区)に住む母は父のガソリンスタンドを利用しており。父は、その病院の灯油なども運ぶ仕事もしてました。
父は、母に惚れてらしくデートに誘い。
母は、姉(次女)となら、父は弟を誘い初めてのデートをしたそうです。
不思議なことに、父の弟は母と同い年。小学校から高校まで一緒の友達でした(笑)
天理教を知った今だから感じるのですが、お引き寄せってこのことだなって思います。
2人は意気投合し、結婚‼️っと気持ちはなったのですが。
父方は、農家の本家の跡継ぎを継がせたい。
母の実家は共働きでやっとの思いで家も建て跡を継いでほしいとの思いが。長女は2歳で亡くなり、次女は嫁ぎ。三女の母が継ぐという思いが強く。母の親は父の実家に怒鳴り込みに言ったそうです。
それでも結婚したい両親。
2人でては駆け落ちになってしまいよくない、母家を出て。
そして、子供が出来れば結婚できると思い子供を作ることに。
なかなかできなくて、父が病気のせいだと思い医師に相談したら『結婚してから来てください』との言葉をもらった面白いエピソードも教えてくれました。
そんなこんなで、母は子供を宿し。父は母の親を説得。
母子手帳をもらう頃までに籍を入れ、晴れて結婚できました。(父27歳、母22歳)
当時、妊娠した奥さんをもらうことに対して批判的な声もありましたが、『なかなか子供ができない人もおるんだからいいことだ』と優しく祖母は言ったそうです。
まあ、近くの病気の受付の人が嫁に来たっとのことで周りの人々は喜び。
母は知った患者さんたちでコミニケーションも守りやすかったそうで。
母は、サラリーマン家庭で農家を何もわからないからこそ本家で嫁いでやってこれたんかなって行っております。
ちなみに、そのできちゃった子供は私🎶
人って、自分ってなんのために生まれて。なんのために生きていくの?
って思ったことあらと思います。
『私は、2人の幸せのために生まれてきました。
なので、人を幸せにするために生きていくんだ。』っと思って生きさせてもらってます。
神様が起こした両親のお引き寄せ、私が誕生したご守護。
この思いを胸に、感謝を込めて歩んでいきたいです。