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ささみ誕生物語

前回は、ほぼ両親のラブストーリーでしたね😅
さぁ、いよいよ私が生まれます。

幼い頃、母親から聞いたその話。

嫁いだ家から職場は目の前となり問題なく妊婦生活を送り。予定日の一ヶ月前まで働き退職。
予定日の前々日、『8時だヨ!全員集合』をみていたところ産気付き病院へ。
初産で、しんどすぎで『息をして』って医者が言ってもきちんと息ができんぐらい無我夢中で産んだそうで。

酸素不足で出てきた私は、呼吸をせず鳴き声を上げることなく。体重だけ計られて救急車へ運ばれたそうです。

その後、息はでき生き延びてはきたのですが、『仮死産』で生まれてきた私。
医師からは『脳に酸素がいってない可能性もあるので、就学までに障害が出る可能性があります。』と告げられたそうです。


母親は泣き、戸惑ったそうですが父親はせっかく生きてきた子供だから大切に育てようと話したそうです。

出産でしんどくてしばらく2人目はええっか、っと考えてた母親ですが私が生まれて1年半後何と妹ができました🤣
それから、一年半にまた妹。平成へ入りまた妹が増え(笑)

年長になった頃には3人の妹を持っ姉になってました。

神様からのご守護なんですかね?
体も無事、知能も問題なく周りともやっていけたので一般の学校へと進んで行けることとなり。
両親は一安心したそうです。

日々の動きは活発で、真冬自転車ごと用水路にハマってるとこを近所の人が拾ってくれたり(みんなコタツ入ってて私がおらんこと気づかんかったらしい)、海を見たら興奮して服ごと海へ入って行ったり(桂浜 遊泳禁止)、1.5mの家の周りのブロック塀の上を歩いたり、二階の窓から出て屋根瓦歩いたり。立てらかしたダンボールの中へ入ってそのまま倒れて下コンクリートで脳震頭起こしたこともある。
今思えば、「多動じゃない?」って思うヤバいやつ。母親下3人もおってよく育てたなって思う。

父は、女しか子供おらんけん寂しかったかもしれんけど。職場の人から「4人も娘さんおってウハウハじゃない」って言われてたらしい。

母は、「4人目生んだ後に医者から産み分け勧められたわ、おせーし」っと笑っていい。困った時はなんでも手伝ってくれる女の子みんなで良かったと言い。

祖父母は「4人女の子しかおらんけど、誰か継ぐだろう」っと祖母が4人お揃いの手作り服を作り。着せてくれましたwww

生まれてそうそう、神様から2回目のご守護いただきました。

「仮死産」で産まれましたが、障害残らず生きてきたってことやはり私は周りを幸せにして行かないとなんかなー。今、障害に関わる仕事をさせてもらってるのも働いてお礼で返させてもらってるんかなって思います。

次回は、嫁ぐ前の意味も込めて、『牛原(旧姓)四姉妹物語』のお話でも書いて行こうかなぁ^ᴥ^♡

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