Maker's Shirt 鎌倉 Herdmans シャツジャケット
真夏にジャケットを着ていると、何かしらのタイミングで「暑くないの?」と言われる事がある。
人々は「上着を着ないと寒い」という必要性から、冬は勿論、春や秋にはジャケットを羽織る。
仕事で必要なドレスコードだから、という理由もあるにせよ、ジャケットを着る本質的な目的は寒さしのぎである。
夏に着るジャケットというのはその本質と相反する。
そのため、出てくる理由というのは単に「お洒落のため」くらいしかないだろう。
「お洒落は我慢」という言葉もあるが、昨今の暑さもあり、命に関わるお洒落ができるほど僕はできた人間ではない。
なので、僕が夏に着れるジャケットは、最早これしかないだろう。
Herdmansといえば、かつてリネンのロールスロイスの異名を持ったほどに、アイリッシュリネンの定番だった。
英国のHerdmansは倒産してしまったが、南アフリカ政府系の企業が設備を買い取ったHerdmans SA、中国でライセンス生産をしていた企業がブランドをそのまま使ったHerdmans Chinaに分かれた。
ところがリネンは設備よりもノウハウの方が糸の品質を大きく左右するため、中国製のものの方が本家に近い質だったようで、その後Herdmans SAは消え、Herdmans Chinaだけが残り現在に至る。
なので、現在入手可能なHerdmansは正真正銘の中華ブランドである一方で、品質としては正統なアイリッシュリネンでもあるのだ。
と蘊蓄を書いたところで、このシャツジャケットの魅力は1mmも伝わらない。
結局その「中国がどうのというリネン」とやらの何がいいのかということだ。
それはシャリ感と通気性、そして「涼しげな見た目」であると言えよう。
リネンは通年着用可用な素材ではあるものの、シャツに仕立てて夏に着れば汗をかいても肌に貼り付かず、すぐに乾いて快適だ。
表面にはリネン特有のネップと呼ばれる糸のムラが生じ、平坦な顔つきとはならない。
そして、それらを一まとめにして感想を述べるならば「どこか涼しげな見た目」となる。
しかしながら、品がありエレガントだ。
しばらく着て洗い込めば生地が毛羽立ち、濃い色はあたる箇所から少しずつ薄くなり、大雑把だったシワが細かく刻まれてゆき和紙のような味のある風合いとなる。
シャツ生地ならではの薄さ故に風を通し、しかし直射日光は遮り、布を一枚纏っても尚暑くなるどころか涼しく感じ始める。
こんな都合のいい素材が他にあるだろうか?
しかし生地自体に伸縮性は一切ないので、フィッティングに少し余裕を持たせるのがコツであると言えよう。
そんなリネンのシャツ生地を、ジャケットに使ってしまおうというのだ。
シャツジャケットなので袖裏すらも裏地がなく、柄物のシャツを着ようものなら柄が透けて見えてしまう。
だが逆に言えば、それだけの通気性がある。
そしてそんな生地にも関わらず、きちんとしたジャケットを着ているように見えてしまうのが不思議だ。
実際にこの真夏に着て仕事をしていたが、ジャケットを羽織っていた感覚はなかった。
本当に不思議なジャケットだ。
話は変わるが、Maker's Shirt 鎌倉、通称鎌倉シャツには、呪いがある。
鎌倉シャツは、かつて胸ポケット付きのドレスシャツを販売していた。
それがニューヨークに出店した際、いい仕立てだと褒めちぎっていた人が試着した途端に「ポケットが付いたシャツ」という理由だけで買わなかった事があった。
それはシャツはあくまで下着であり、実用性を持つポケットは付けないというのがシャツの本場である欧米の常識だったからである。
そのエピソードから、鎌倉シャツでは胸ポケット付きのシャツの販売をやめた。
「本格的なシャツを作る」というのが理念としてあったからだが、逆にそういった認識のない日本の消費者には受けず、以前の客層が離れて行った事があった。
鎌倉シャツの作るシャツジャケットは、3パッチポケットだ。
カジュアルな風だがバランスの整ったパッチポケットで、いい塩梅だと思う。
しかし、ここで何故か、またポケット好きな消費者が登場する。
「更にポケットを増やせないか」と。
そして今年のシャツジャケットには、彼等の意見の甲斐があり、無惨にも内側に4つのポケットが縫い付けられたのだった。
いや、秋冬物の、厚手の生地のシャツジャケットであればそれも良いだろう。
一体ジャケットのポケットに何を入れるのかは知らないが、厚みのある生地であれば多少何かを入れたとしても表に響くことはない。
しかし、向こうが透けて見えるような薄手のシャツジャケットでは、何を入れたとしても全てが表側に響いてしまう。
いや、それどころか、裏にポケットそのものが存在するだけで表に響いてしまって、本当に目も当てられない。
この企画を通した人は、ポケットの呪いを恐れているのだ。
なので、僕はウエストを絞るお直しのついでにポケットを取ってもらっている。
余計に費用はかかるが、ポケットの呪いを解くための祈祷料だと思えば腹も立たない。
…はやく除霊して欲しいものだが。
ディテールは、よく考えられている。
シャツでは呪いと書いた胸ポケットだが、ジャケットにしてはシャツらしさも出る上にカジュアルさも醸し出すパッチポケットなのは正解だ。
形も美しいと思う。
ベントはサイドベンツ。
スポーティーさが出てくるディテールだ。
動きやすい上、トラウザースのポケットに手を突っ込んでも着崩れしないのはカジュアルに着るには最高だ。
肝心の仕立てだが、それなりだろう。
2万円前後という価格の安さを考えればそうだし、芯地がほとんど用いられていない事を考えると必然である。
立体感を出すためにシャツのようなヨークを作っているのは、シャツ屋としての意地を感じるディテールだ。
これは、イタリアのTジャケットもやっている。
胸のボリュームを出すためのヒゲがあったり、上襟の吸いつきを簡便に良くするための二枚襟だったり、いせ込みに限界がある分のアームホールの大きさだったりと、ジャケットの作りとしては口をつぐむ事もあるだろうが、シャツジャケットだと考えれば理由はきちんとあり合理的だ。
そして、汗をかいても洗濯機でバンバン洗ってしまえると考えれば、仕立てのよさはそこまで求められない。
その良い塩梅のジャケットが、このシャツジャケットだ。
気張らず買えて、雑に着て、洗濯機で洗って、でも着るとエレガントに見える。
こんな都合のいいジャケットが他にあるだろうか?
来年も買い足す理由ができてしまった。
来年もこれを買って、着て「暑くないの?」と心配されながら仕事をするとしよう。
ポケットの呪いに怯えながら、になると思うが。
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